自己紹介

【H20.7発症 統合失調症 解離性障害.解離性遁走.うつ病と診断】■障害者手帳3級所持 ■障害者雇用3年目■基本ふぁぼ中心■6月に結婚■DM基本的に×■1日の出来た事日記が中心の闘病アカです。詳しい略歴はツイフィをご覧下さい。お別れはブロ解でお願いします。フォロー返しは慎重。無言フォロー失礼します

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◆初めに

少々長くなりますが、ご了承ください。
発症自体は新卒入社してからですが、生い立ちから因子があったと言われています。
自分自身の整理の意味と皆さんの合う合わないの指標にしていただければ幸いです。

◆幼少期~小学生まで

所謂●●至上主義の古い家に生まれました。実父側の家が作曲やピアノや歌、書道の先生をしている家でした。その影響もあり、小さい頃から特に音楽に縁がありました。
実父は海外の人を偶に家に連れてきたり、休日には英語の本を読んでいたり、周りとは少し違う父親をとても尊敬していて、病的なまでに崇拝していました。
実父に褒めてもらいたい、認めてもらいたい一心で大人の言いなりの子供です。
小学校受験は最後の抽選でいつも落ちて、結局失敗します。

・実父はこの頃から既に思い通りにいかないと私と妹に暴力を振るっていました。
そして、周りの大人の前ではそんなそぶりも見せないので気付かれることもありませんでした

・私と妹は小さいころから仲が良かったのですが、身内は常に私と妹を比べ、優劣をつけていました。なんでも出来る私とそれ未満の妹。実父側の家からは特にアタリも強く、母と妹はこの頃から実父の家に行かなくなります。


・お受験幼稚園に通わせられて、同学年の子たちが帰る中一人遅くまで居残り勉強をしていました。勿論当時の私はそれが年相応の事ではないことも判りません。
部不相応な難しい小説も読んでいると褒めてくれるので頑張って読んでいました。このころに自分は人より少しだけ読むスピードが速いことに気づきます。
勉強もピアノも全ては周りの大人が喜ぶからという理由で頑張っていました。


・暴力を振るわれながらも私は実父を嫌いになることができませんでした。殴られたり蹴られたりベランダにほぼ裸で外に出されるのも、全部期待に応えられない私が悪いと頑張っていないからだと思っていました。

・この頃に実は父は海外の友人と共謀して、会社のお金を着服それをつかって詐欺をして、拘置所に入っているのですがまだ知りません(保釈金を母方の祖父母が払うことですぐ保釈されました)

◆小学校~

受験には失敗したものの先取りの勉強の御陰で学校では所謂優等生でした。
この頃から進学塾と別の塾とピアノのレッスンと習い事の掛け持ちで帰ってくるのは22時。
習い事で埋まっているので殆どほかの人と遊ぶことはできませんでした。

・3年生の時に事故で腰の骨を折り半年間学校にいけませんでした。学校に帰ってきた時からいじめが始まります。クラスメイトで同じ塾に通っている人間が私に近づくと肉が腐ると言いふらしていたそうです。(同じ塾で他の子達よりも私と関わっている事と元々アトピーを持っていて、お世辞にも皮膚が綺麗とは言えなかった事で信じてしまったのでしょう)
塾でも同じ噂が流れており、文字通り一人でした。

・同時期から実父の暴力がエスカレートしてきます。暗記が出来るまで冷水のシャワーしか使わせない。人間の呼吸の勉強と称して頭をつかまれ、水風呂に押し込まれる。ベッド脇に参考書か過去問によく使われる名作がなければ寝ているところを殴り、起こす等々
母とは毎日口論。妹は既に不登校になっていました。
妹を連れて、母方の祖父母の家に逃げたこともありました。が、結局はいい顔をして連れ戻され帰り道で暴力。私はそれでも私の頑張りが足りないからだと思っていました。

・ピアノは受験に必要ないと止めさせられて、塾を増やされます。しかし、塾での学力は下がる一方でした。そして暴力もさらにエスカレート。学校ではいじめのテンプレートは殆どされていた気がします。家に帰れば口論と部屋から出てこない妹。私の心は限界でした。

・6年生。受験は当然失敗に終わりました。結果が送られてきた時の実父の
「お前は俺の道具なのにこんなのもできないのか。役立たず、出来損ない。
 道具にもなれないならお前に価値はない」
と言われて、何かが壊れました。自分の部屋で首を吊ろうとしたのを覚えています。
吊った直後に実父に見つかり、降ろされ
「自殺されたら面倒なことになるだろ。ふざけるな」
とまた暴力を振るわれたことを覚えています。
(この出来事が私の自己否定の強さ。発症の根幹にある出来事だと先生は仰っていました)

・直後に実父の浮気と母名義で大量に借金をしていたことが発覚して、そのまま行方をくらまします。母方の祖父母や叔父叔母の協力で引っ越しをして、別の地域で中学校に行くことに。


◆中学校

多分このころ既にうつ病になっていたのだと思います。小学校4年の後半から既に疲れからか教室で寝ていることが多く、中学ではそれが更にひどくなり、成績もがた落ちでした
ただ幸いな事に自分のことを全く知らない御陰で何人かの友人にも恵まれました。
しかし、全ての事に意味を見出せなくなっていて、自分の趣味をとても毛ぎらうように。

・趣味の読書,楽器の演奏,ブラインドタッチ。暴力を振るわれないために速くならざるを得なかった速読術。実父のより良い道具としてやらせられてきた全ての事が憎くて、私はなんて空っぽなんだと思っていました。

・母は毎日の様にお酒を飲み、毎日嘔吐していました(きちんとお仕事はしていました)
そして、この頃からお酒を飲んでからの言葉の暴力が始まります。妹は更に心を閉ざして、部屋から出てくることが無くなりました。

・2年生の時に今の義父がやってきます。そこから家族が少しずつ明るくなることに。

この時期から血の繋がりは重要ではない。家族だからと言って信頼できるとは限らない。
友達の方が信用できると思うように。


◆高校生

中学校の悪友に誘われて、剣道を始めることに。順調に続けていたところ、2年生の時のクラス替えで不良ばかりのクラスに行くことに。
そこからまたいじめにつながります。暴力こそないモノの無視や教室に閉じ込められたりなど。留年をするモノの剣道と同時期に誘われて始めた吹奏楽の仲間に助けられて、進級を無事にします。

・この頃に出会った剣道と吹奏楽(ピアノ以外の楽器は初めて)と音ゲー全般等は実父の影響が無い私が自分の意志で好きだと思えたもので未だにとても大切にしています。

・留年をした際にこんな自分ではダメだとイメージチェンジを頑張りました。中学の悪友の態度や口調を模倣して、今の私になりました。

・この頃の仲間が未だに付き合いのある人達です。また私の元パートナーともこの時に付き合い始めました。前述の私の生い立ちも全部知ったうえで私を好きだと言ってくれて、初めて心の底から落ち着ける人に出会えたと思いました。

・家族はこの頃、義父の束縛嫉妬で崩壊しており、お酒が増え、八つ当たりをしてくる母といつも口論をしていました。2回家を追い出されて野宿をして学校に行っていた時期もあります。前述の仲間たちが助けてくれていたからこそおかしく成らなかったのかもしれません。

・当然八つ当たりは妹にも回ってきます。この時期は妹を連出して、逃げるように仲間達と遊んでいました。この頃から妹も少しずつ外に出れるように。

・この時の仲間への恩が「心配をさせたくない」という気持ちにつながりました。
皆の前ではいつもの明るい私でいようと。こんなに素敵な人達に迷惑を掛けられないと思うようになりました。

◆新卒入社~発症


本当は夢があったのですが、身内に前科者がいるとなれない業種の為に断念をしました。
母も苦労をしてきた事はわかっていましたし、妹も漸く前を向き始めたモノのまだ引きこもり
は続いていました。だからこそ、お金を早く稼いで家に入れて少しでも楽をさせたい。
そう思い、専門卒業後に新卒で就職をします。

・入社した会社の方が殆どPCの知識が無い方ばかりで仕事の合間にその方面の作業も並行してやっていました。が、直属の上司と総務のお局に目を付けられ、アトピーについての罵声。
在庫、帳簿、連絡の不備の押し付け。理不尽を訴えても動いてくれない会社についにおかしくなりました。会社に行くと告げてから、初めての解離。

・その後ある病院のデイケアに2年通い、そこで色々な精神疾患と戦う方達と出会いました。
ここで健常者と障害者の差を初めて認識しました。差別に満ち溢れていることも

・卒業後、クローズで就職するものの2年と半年後。別の課の社員からの嫌がらせが始まりました。前回の失敗を生かすために必死に作った上の人間との関係を使って、相談を繰り返しましたが先に私の方が潰れてしまい、再発。その後今現在もお世話になっている先生と
出会いました。

・ここで元パートナーの子から
「十分に頑張ったから、もう生きてくれるだけでいい。結婚しよう」
と言われました。私は結婚したら後には戻れないよ?と私でいいのか?と何度も聞きましたが
返答は変わりませんでした。両者の親からも同様の反応でしたが「覚悟はしてます」と

・その更に2年後。丁度今年の2月に
「他にときめいた人が出来た。覚悟が足りなかった。ごめんなさい、やっぱり障害を持ってる貴方とは幸せになれないから別れてほしい。ただ、それでも死んだりしないでほしい。
自分勝手なのはわかるけど、命は捨てていい物じゃないし、これからきっと良いことが必ずあるよ」と言われて離婚しました。


つい最近までその恨みだけで生きていましたが、元パートナーの子への気持ちも整理がついてきました。同時に私も独りよがりで甘えすぎて居たと感じています。
そんな弱い自分も含めて、直していきたいという気持ちで今は生きています。
また、実父へのトラウマは残っているものの、彼に関係した特技・趣味は前よりは認めることができるようになっています。

上記の事から健常者と障害者の間にある壁に関しては冷めている所があるかもしれません。
寛解しているとはいえ、まだまだ脆く、それでも、もがいて這い上がろうと毎日生きています。

◆近況
就労継続支援A型で一年リハビリをして、今年の4月から障害者雇用で一般企業に入社しました。
また、去年友人だった方とお付き合いを始めました。
私の障害とか離婚とか全てお話した上で一緒にいてくれています。
今の目標は失った物を取り戻す事。恋人さんと一緒に住む事。
そして、変わらずに毎日必死に生きる事。
弱い気持ちや虚無な気持ちに負けないようになる事です

◆改めて趣味とか

趣味は音楽.読書.剣道.お菓子屋さんと喫茶店巡り.ミュージアム巡り.小動物カフェ巡り等。インドアかアウトドアかと聞かれると若干インドア寄りのアウトドアでしょうか。
特に音楽は大好きです。楽器を演奏する側だったのですが、聞く方観に行く方が最近は中心。歌は小さい頃から好きだったのでそれが今はメインかもです。

性別についてはどちらとも取れる様にしています。
男性、女性恐怖症を併発して、闘っている方もいらっしゃいますし、励まし励まされるのが一番の目的なので…。
性別関係無く、同じ様な病で日々を生きている人間として見てくださると嬉しいです。


長文失礼致しました。読んで頂いてありがとうございました。

好きなもの

日付データ

プロフ更新日2021/04/27 22:22 プロフ作成日2018/08/06 20:46
API更新日2024/05/21 14:43 API更新予定2024/05/21 15:43