@tridentine0420
母が亡くなって毎日辛くて、どうしたら良いのか分からない。想い出が脳裏から離れない。何度も何度も孤独に負けそうになるけど、それでも生きて行かなくては。恩返しがしたいから。
私が高校(県内有数の進学校だった)を中退してから、色々な事があった。本当に色々な困難があった。
それでも母はいつも一緒にいてくれた。誤解からけんかも沢山したけれど、私の事を世界一好きだとよく言ってくれた。
一番大切にしてくれて、一番協力してくれて、一番期待してくれた。一番の理解者で、味方だった。
私が一人で外に出られない時は、毎日一緒に歩いてくれた。月に一度は電車に乗って遠出してくれた。世界一やってもらったのに、それなのに私は恩返しが出来なかった。
本当に時間はかかったけれど大学に行ける状態になった。大学を一緒に見に行き、あと何回見に来ようねと約束もした。そんな矢先、母が余命宣告を受けた。
夏の日の夕方、母が一人で病院の検査から帰って来た。暗い雰囲気だった。結果を聞くと、膵臓がんで腎臓にも転移していて病院では手の施しようがない。余命3ヶ月位、長くても年内と言われたらしい。
母は健康に気を付けていたし検査も色々受けていたので、私は突然の事で一瞬頭が真っ白になった。
母はワクチンを3回接種していたので、その後悔にも押し潰されそうだった。
しかし、私は絶対に諦められなかった。とにかく母を励まして、希望を持って貰わなければ。この日から私の、母の、病との戦いが始まった。
私は母を本気で直そうと必死で情報を集めて勉強した。母は延命は望まなかったけれど、免疫力、殺菌、抗酸化、体温、お風呂、食事など、私の言う事を信じて試行錯誤の治療法を実践してくれた。
私はカトリック信者なので、寝る前に一緒に主の祈りと天使祝詞を唱えて、ルルドのお水を飲んでもらった。神様、どうか母を助けて下さい。奇跡を起こして下さい。今が一番大事な時なのですと祈った。
年が明けても一見母は元気そうだった。私は、良くなったらこのお店に行こうね、早く行きたいねと、一緒にYouTubeやグーグルマップを見ながら言っていた。
私は、きちんとしたお別れが最後まで出来なかった。母は私に遺言を言いたかったと思う。でも、言わせなかった。治ると希望を持って欲しかったから。
本当に頑張ってくれたけれど、3月に入ると急に体調が悪くなって寝たきりになってしまった。本当に急だった。
私は、母の具合がそれ程悪いと分からずに苦しめてしまった事もあった。
看病している私に、大事な時にごめんね。大好きだよ。ずっと一緒にいたいと言ってくれたのに、困らせてしまった事もあった。
食べる事も飲む事も出来なくなった母は、もう話す事が出来なくなってしまった。私は必死で飲ませようとしたけれど、駄目だった。
私は母の目の前にロザリオをかざした。母はとても神秘的な笑顔を見せた。私に何か訴えかけるような優しい笑顔は、神様が見えているかの様だった。
母は最後ものすごく苦しんでいたのに、私はどうする事も出来なかった。そばにいるのが耐えられず、逃げ出そうとしてしまった。
母が亡くなったのが分かった。医師が来て死亡宣告をした時、私はこれは現実なのか一瞬分からなくなった。この日は、大好きだった私の祖母(母の母)が亡くなった月日で、同じ年齢だった。
この世の全ての苦しみから解き放たれた母は、今まで見た事が無いような、安らかで美しい寝顔をしていた。少し前まであれ程苦しんでいたのに。
私には、今まで本当にありがとうございました。そして、本当にごめんない。 この2つの言葉しか出て来なかった。
母が家の玄関から運び出されて行った。その時の気持ちは言葉にする事が出来ない程の絶望で、苦しく、悲しかった。
その時以来、私は一人になってしまった。
母は夜遅くまで起きているのが好きだった。一緒に家の仕事をしたり、テレビを見たり、お茶を飲んだりした。
いつも一緒にいたのに、母の声がもう思い出せない。
私がどれだけ心の中で叫んでも、あれだけ私の事が好きだった母は応えてくれない。私を置いて行ってしまうの?
声が聞きたい。話がしたい。笑顔が見たい。一緒に出掛けたい。
私は今家を出て一人暮らしをしている。
毎日、心が押し潰されそうになる時があるけれど、
〇〇負けるな 〇〇負けるな
〇〇がんばれ 〇〇がんばれ
〇〇絶対に負けるんじゃないぞ
〇〇はママの子なんだから。
母の言葉を支えに、少しでも良い方向に進める様に頑張らなくては。