水踊(mizuodori)/けどろん(khedoron)@自転車大好き・CBあさひのドレイ
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ユーザー名:@mizuodori_cycle
登録日:2025年12月17日
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updated: 2026-06-14 23:55:19
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愛車は(1)パナソニック ハリヤ (2)サイクルベースあさひ Weekend Bikes26 近々三台目が加わるかも?/旧公共交通垢より独立。自分のポストは自転車に絡む話題だけ。その他の話題はいいねやリポストはするかもですが、リプライや引用した上で議論に加わる事はありません(その不毛さに疲れ果てましたので)。
まず最初に(フォロー・フォロワーの皆さんへ)
私には現在運用している趣味系の公開アカウントが三つあります。
アニメ・ゲーム・特撮・声優俳優モデル・ラノベ文芸 について → @khdrn_mzodriP
自分の好きな音楽(新旧メジャーマイナーを問わず)、それらを広める媒体としてのラジオについて → @mizuodori_mSPM
自転車趣味・スポーツ観戦趣味 について → @mizuodori_cycle
他に非公開(鍵をかけている)アカウントが三つありますが、それらは既に運用を停止したものや、他人様に読まれたくないリポストや個人的愚痴をそれでも記録する為のものですので、フォローさん&フォロワーさんにとっては存在しないものと同じとお考えください。
万が一それらに対するフォロー申請がなされてもこちらは応じるつもりはありませんので。
なおこれ以外のXアカウントでプロフィールに「けどろん」や「水踊」と書いてあるものは偽者と考えて間違いないので、見つけたら即なりすましorスパムで通報よろしくです。私への報告も必要ありません。
このツイフィールページでは、上記の三つの公開垢のうち @mizuodori_cycle のそれについて「もっと紹介」していきます。
各種リンク一覧(他SNS及びnote)
ツイログ:https://twilog.togetter.com/mizuodori_cycle
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note:
https://note.com/mizuodori (現在はテスト公開中。2026年1月より本格始動予定)
Instagram:
https://www.instagram.com/mizuodori_at (私個人の日常で撮影した画像と動画はこちらに上げてます)
かつてのメインアカウント(@mizuodori)について
このアカウントはあくまで特定分野の話題に特化したサブアカウントのつもりなので、詳し過ぎる自己紹介は元のメインアカウントである @mizuodori のツイフィール 、つまり http://twpf.jp/mizuodori を参照してください。このアカウント自体は2023年3月以降いっさいポストはしておりませんし鍵垢化し運用はやめておりますが、ツイフィールはそのまま閲覧出来ますので。
もっと自己紹介(その1)私と自転車の個人史、そして現在
初めて親に買って貰った自転車が何だったかは実はもう遠い記憶の彼方なのですが、はっきりと覚えているのは中学生の終わり頃からになるでしょう。
両親二人の母校でもある県立高校一番の進学校(この上には地元の国立大学の附属高しかない)にギリギリ滑り込む様に入学すると共に、我が家のある場所からだと公共交通機関だけで行くには遠回りになる事が分かっていたので(一旦中心部の繁華街に出て、そこで高校のあるエリアへ向かう系統に乗り換える必要がある)、降雪期や荒天時以外は極力自転車で通学しよう、という事になり、当時の流行だった「スポーツ車」を買い与えて貰ったのが始まりです。メーカーは確か丸石自転車だったかな。当時のトレンドだったフラッシャー(電照式の方向指示器)がついていた…けどすぐに壊れて使わなくなった事を覚えてますが。
日常の通学には勿論、遊びでもあちこちに乗り回すのが楽しみでした。
高校卒業後、名古屋での浪人生活を経て東京の私立理工系単科大学に進学。最初の二年間は杉並区の古い住宅街の中にある賄い付きの下宿で過ごしましたが、下宿の建物のそばにも最寄り駅である中央線某駅の近くにも駐輪場のスペースがなかった事もあり、当時の愛車は実家に置きっぱなし。長期休暇で帰省した時には変わらず乗り回してましたけど。
大学3年、いや正確には二度目の2年生だったのですが(苦笑)、学外のサークル活動(同人誌を作り夏冬のコミックマーケットに参加していた)の仲間が沿線に多く住むという理由で東武東上線沿線、板橋区徳丸に新たにアパートを借りる事に。
最寄り駅である東武練馬駅からは若干距離がある上に、駅の手前が上り坂になるという地形の関係で徒歩移動はしんどい、路線バスも東武練馬駅と都営三田線の高島平駅を結ぶ系統はそれなりの本数走っているが、乗車区間は短く通学利用の為に定期券を買うのはさすがに…という事で、実家に放置していた丸石のスポーツ車を東京へ持っていく事に。
結果論ではあるのですが、そこから大学を卒業するまでに更に5年もかかってしまうので、同じ期間をこの自転車と共に過ごす事になりました。東上線で言うと、東武練馬を中心としたときわ台〜成増間の五つの駅周辺、都営三田線では西台〜西高島平間のエリア、さらに三田線を超えて新河岸から荒川戸田橋緑地あたりまでは自転車で走った記憶があります。
余談ですが、この私が五年間暮らした風呂無しのアパート、割と最近までに同じ場所にそのまま建ち続けていたのですが、2025年12月に訪ねた際には更地になっておりました。
割と最近建物が壊された様子だったのですが、何かしらの用事で東京を訪ねる際に時間が許せば訪れて「ああまだ残っているよ」と確認していたので、遂にそれがなくなってしまったと知らされたのは少しだけショックではありました。
出ていったのが1991年の春で、建物が「ある」事を最後にこの目で確認したのが2023年の秋。つまり少なくとも30年はそこにあったものがなくなったのですから。
さて話を戻して…人より三年余計にかかってようやく大学を卒業、バブル時代の勢いがまだぎりぎりあった頃故に、選り好みさえしなければ就職が出来て(まあバブル崩壊後にその安直な選択を強く後悔する事になるのですが)。大手電機メーカー100%出資の子会社に技術者として入社し、最初の一年半は中央線の武蔵小金井駅から北東方向に離れた場所にその年の新入社員専用に借り上げたおんぼろな独身寮で過ごします。
ここもまた最寄り駅から距離があった事もあって(すぐ近くを武蔵小金井駅と隣の東小金井駅を中央線北側の高校・大学の校舎を縫う用に走る路線バスの系統が走っていた、そんな地域だった)、実家から持ってきたスポーツ車を引き続き乗り回します。
しかし社会人二年目の秋、前年から総武線・中央線各駅停車(黄色い電車のあれ)の沿線、千葉県船橋市の西の外れの某駅のすぐそばに建設していた新しい独身寮に移ることになった際に、四輪車・自動二輪車には駐車場を用意するが自転車にはそれがないと会社の総務部から言われてしまい。中学三年生から約12年乗り続けてきたスポーツ車、かなりガタのきたそれと別れを告げる事になります。
そして、途中二度の部署異動、そしてその都度同僚や先輩たちとの人間関係に苦労させられたあげくに心身を病み、大学を出るのにかかった期間よりも三ヶ月短い約6年9ヶ月で勤め先を退社、しかもカード会社等にこさえた借金で首が回らぬ状態に陥り(それはまあ自業自得でしかないのですが)、不本意ながらも石川県の実家へ戻る事になります。そこから数年はヒマはあるけどカネはない(自分の自由にはならない)時期が続き、自転車とも縁遠い日々が続きます。
ようやく新しい自転車を手に入れたのは、老人性鬱による引きこもり状態からやがて認知症を発症した母親を在宅で介護する事になった、そんな自分の人生にとって一番キツい時期のその最中。
しかも実は新品などではなく、町会の集積場に粗大ゴミとして放棄されていたおんぼろママチャリを引き取って、でした。
勿論勝手に持っていき乗り回す、という事は出来ず、町会の会長さんや地元の交番のお巡りさんにもきちんと許可を取り、新しく防犯登録して…と手続きを踏んでの事でした。
そこから母親が亡くなるまでの十数年、具合が悪くなれば近所の自転車屋で直したりしつつ、この重たくおんぼろの、内装式三段変速付きのママチャリに乗り続けました。犀川と浅野川、金沢の街を流れる二つの川に挟まれて形成された小立野台地のど真ん中、四方どの方向に進むにも坂道の上り下りが発生するそんな地形の場所で乗り続けるのは正直かなりツラかったのですが、それでもそうやって走り回る事だけが、介護疲れに陥りがちな自分にとって数少ない気分転換の手段ではありました。
母親を看取り、僅かながらあったその預金を相続して少し余裕が出来た時に、改めて新しくちゃんとした自転車を買いたいと思って、調べていろいろと考えた末に購入したのが、サイクルベースあさひのプライベートブランドであるWeekend Bikesという安価で街乗り向けのクロスバイクのタイヤ径26インチのモデルでした。
仕様はこんな感じ→ https://ec.cb-asahi.co.jp/catalog/products/5F96548D816F46529EE264EE060383DE
アルミフレームで荷台のない、しかし自重は約12キログラムと軽いモデルで、外装式七段の変速機付きという仕様です。
母親がその人生の最期を迎えたのは金沢市もりの里の病院でしたが、そこに入院していた約七年の間に、小立野の我が家との間を粗大ごみから蘇らせたママチャリで往復する際の、その経路の途中、浅野川を橋で渡ってすぐ、山側環状と呼ばれる新しい道路に面したところにサイクルベースあさひの実店舗がありました。タイヤの空気を入れ直したり、パンクを修理して貰ったりといろいろお世話になってました。そんな経緯もあって、次に新しい自転車を購入する際は是非この店で…と考えており、実際その通りになりました。
そして母親の死から約三年半後、今度は父親が亡くなります。母親の在宅介護で既に燃え尽き状態だった私は、倒れて要介護となった彼の世話をする精神的余裕はもはやなく、折しも定年間近まで貧しいなりに東京暮らしを続け、そして早期退職して石川県に戻ってきた五歳上の兄に全てを委ねる事になりました。
運良く施設はすぐに見つかり入れたものの、折悪しく新型コロナ禍の真っ最中。しかも入れた施設も隣の県の山の中という事で面会に行く事もなかなか叶わずでした。兄もいろいろ大変だったと思いますが、それでも私の十数年よりも遥かに短い期間で「親の介護」から解放された事に対しては、彼の悪運の強さというか、兄弟でこうも境遇が違うものかと少しだけ理不尽なものを感じたのを覚えております。
まあそうした感情的なわだかまりは残ったものの、とにかく父親も看取って、しかも預貯金と実家の不動産を兄弟二人で相続する事になりました。しかも父親が勤めの医者というそれなりに稼げる仕事をし、しかも出世もそれなりにした人間(※)であったが故に、我々息子たちの想像を超えるかなりの蓄えがありました。具体的な額は書けませんが、まあインター-ネットに巣くうある種の人々から羨望と嫉妬をされるくらいのそれはあった事は否定しません。
我々兄弟にしてみれば、うわあい不労所得だぁ小金持ちだぁと浮かれる気分になれる程のそれでは全くないのですがね。
とにかく、煩雑な手続きの末にお国に納めるべき相続税を納めた後に、二人の手元にはそれなりの額の預金が残り、それを綺麗に折半して、あとはお互いに好きな様に生きようぜと笑いあって、以後はたまにメールのやり取りをするだけの疎遠な関係になっております。
ちなみに兄は若い時には自動二輪に乗っており、それが経済的に維持できないと悟ってからはエンジンのない自転車での通勤に切り替える事とし、それから早期退職するまでの三十年近く、キャノンデール製のマウンテンバイクにお金をかけパーツ等交換しつつ乗り続けてきた筋金入りの自転車野郎(チャリダー)だったりします。
「東京都内で自転車通勤するのにどうしてマウンテンバイクなんて乗ってるんだよ」と一度突っ込んだ事があるんですが、「いやあ東京って意外と坂多いのよ。混み合う幹線道路を避けて、裏道を辿ってとなるとさらにアップダウン激しい経路になるし」「こっち帰ってきてから初めてだよ、マウンテンバイクらしく里山を走ったのって」と悪びれもせず答えられて、それ以上は何も言う事が出来ませんでした。とにかく、ママチャリとクロスバイク、それも安いものしか乗った事のない私とはまるで対照的な自転車生活を送っている訳で、なんとも理不尽なものを感じますが、まあこれも人生というものでしょう…ってそれでいいのかよっ。
とにもかくにも、再びそれなりの資産が手元に入ってきて、しかも自分の身体の更なる衰えも感じ始めたところで「自転車…買い替えるかあ」となったのでありまして。そしてまたしてもサイクルベースあさひの、今度はネットの店舗で購入したパナソニック製のハリヤという機種を2023年秋より所有し愛用しております。
仕様はこんな感じ→ https://cycle.panasonic.com/products/hurryer/
スポーツサイクルやマウンテンバイクに近いデザインのアルミフレーム、フロントサスペンション付きの電動アシスト付き自転車です。オプションのリアキャリア、さらに純正品ではありませんがパニアバックを装着し、たまにごく少量の荷物を載せて運べる様な運用をしております。普段はママチャリよりは軽快に街乗りを楽しみ、ごくたまに家からさらに山奥へ分け入ってみたりもします。
しかし所詮ポタリングどまりで、長距離で本格的なサイクリング・ツーリングは自分の体調体力的にはもはや難しいと思っています。
…とまあ、気づけば60年を超えてしまった自分の、長く曲がりくねって、なんなら心まで拗くれてしまった人生と、自転車との関わりあいを簡単に振り返ってみました。
こんな私にとって、今一番楽しい時間は、多分自転車で故郷の街や里山を何にも考えずにペダルを漕いで走り回っている時なのです。
スマホはGPSロガーと地図アプリとネットラジオのアプリだけを走らせポケットにしまい…当然画面を見ないからSNS等で精神衛生上よろしくないアレやソレを見る事もない訳で、ナビやラジオの音声はワイヤレスイヤホンで聴くという、そんな自転車とのつきあい方。
体力体調精神状態の続くうちは、そんなサイクルライフを続けていければと思っております。
(※)隣県のある街の市立病院に四十年以上勤め、最後に院長を数年間だけですが務めておりました。それ以降も同じ街にある病院一つの管理者と老健施設の施設長を務めて八十歳台前半まで仕事を続けたのです。まあそうやって身体がぼろぼろになるまで働き、ついでに地域の人々からも尊敬の念を集めた「最高の町医者」だった訳ですが、その傍らでさんざん苦労をかけた末に要介護5で認知症になってしまった自分の妻の事は、介護保険と稼いだお金で「出来るだけの事はしてやってくれ」と口で言うばかりで、あとの雑事は社会落伍者でまともな職と稼ぎの得られなくなった二人目の息子に丸投げだったのです。
そしていよいよ父親も働き続ける事が厳しいかも…となりかけていたその矢先に、まるで「お父さん、もういいですよ」と言いたげかの様に我が母は逝ったのです。いろいろ文句言いたい事もあった筈なのに、そんな風に何も言わずに黙って去っていた母のその夫への最期の優しさに対して、私が「母さん、あんたは父さんにだけは甘いよね」と心の中で毒づいていた事は、父親は亡くなるまで知らなかった筈です。
ちなみに入れた施設というのも、実は倒れる半年前までの最後の職場であり「開設時からの十数年うちの為に尽くしてくれた功労者ですから」と特例で入れて貰ったという。親の介護に悩み苦しみ、終の棲家になる引受先を探されている世間一般の家族の方々からは「ああ実に運が良いですねぇ、妬ましくなる」ときっと恨まれるくらいの幸運な話ではあるのでしょう。
しかし、当の在宅介護に携わっていた私にすれば、その十数年の他人には言えない苦しみ、いやそもそもそれ以前の人生に於いて「お金はくれたかもしれないが、それ以外の何一つ与えてくれなかった」と思っている「最低の家庭人」だった父親に対する苛立ち・憎しみ(これもまた他人様には言えないそれです)のあった日々の事を思えば、それぐらいの報いや救いはあってもいいでしょ?と言いたいのが偽りない本音なのです。この思いに対しては、世の中の誰からも綺麗事やただしさで責められ裁かれる事は、自分の生命が尽きるその日まで拒否し続けると思いますね。幸運ではあったかもしれないけれど、幸福だったという実感は皆無なのですから。
🔮運勢占い
@mizuodori_cycleさんの今日の運勢
#FFD8B1 / RGB: 255,216,177