自己紹介

龍角散の原型となる薬を水戸藩に習いに行ったのは藤井玄信と名乗った久保田藩医ですが、

これは原南陽(はらなんよう、1753-1820)の門人。

これを創薬したのが1797年または1799年だと言われています。

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秋田市茶町(大町)にあった龍角散の支店のアカウントです。

藤井家は国替えを経て、常陸国(茨城県)から久保田(秋田市)へ移住した武士の一族だと言われている。

何代目かが医者となり、江戸中期には大曲(大仙市)に住んだ藤井某がいたとされ、江戸末期になると久保田と大曲に薬店を開いた。

明治維新を経て、個人経営としては久保田を本店とし、1871年に東京神田、1873年に大曲に支店を置きました。

別の説としては、『藤井家は代々秋田藩佐竹公の御用医として江戸に在住し、佐竹の江戸下屋敷に出入りし、秋田藩御入用の薬種を納入しておった。

藤井家は江戸時代より美倉橋(みくらはし、千代田区)にあり、佐竹屋敷は、橋を渡って先方の今日の二長町のあたりにあった。』とある。

これは、のちに佐竹原(さたけっぱら)と呼ばれた現在の台東区の佐竹商店街の付近と、下谷二長町(したやにちょうまち)のこと。

※2024年7月14日作成。複数の資料から判断したものです。

日付データ

プロフ更新日2024/07/14 06:54 プロフ作成日2024/07/14 06:49
API更新日2024/09/07 08:52 API更新予定2024/09/07 09:52