坪内琢正/時雨from京阪滋人文域
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𝕏 自己紹介
一次同人作家/警備隊リーダー
也垢グループ天路組保管室保管係
個人ツイプロ:https://t.co/fr7GqPfQqA
也垢グループ中央人間主義迫害解放機構(中人放/CHPL)、同外部友好グループ天路組について:https://t.co/JjNFpBY9Mn
自己紹介1/8
『【レスの方針】全滅か、全員無事か、出生率確保に関わる営業勝敗をやめなさい~大型政府・大型家庭、人間絆が再生される所まで~』
https://bccks.jp/bcck/163521/
【ホワイトボード兼ビラ】
〇ホワイトボード兼ビラ部
(1)140台より重要事業所半数第二類2500円(なお第一類は1000円へ賃下げ)、物品頒布の場所時間の営業統制、定期昇給禁止、寿退社が夢の者の残存ワープア推奨・同一労働非同一賃金再開・産育休付与計画モデル提示、完全過失は民事補償と再教育のみ、整理解雇等について一定条件下での同業他社強制雇用。またHSP・高度感情移入者が狙われやすいクローン主義的蛮行であり、特に頻度が問われやすい狭義の業務指導虐待防止、また孤独病回避の複世帯優遇(二大具体項目一・六中労社項目プラス二)。また4週8休・1年目から有給20+祝日等割当可の無給20。割算ができるなら出生率で勝敗しない。出生率確保は参加賞であり、環境確保を六中項目プラス二によって徹底させる。安保同様に、社保を自分の攻撃力のPRの道具にはさせない。賃上げ、消費税減税とも危険な行為であり反対する。
※ 第二について、例えば火の用心・夜間巡回組は過去、容易に得られる子どもの団欒後、容易に集まった。子どもの団欒が容易に得られないなら、個人がそれで落ち込まなくてもよいが、それでは得た者も意味が薄く、勝ち誇りは低次元の醜いグレでしかない。夜間の買い忘れはそのものが悪いが、それを狙う白タク行為のような店を開け、自由と称して火の用心・夜間巡回組のサボりを勧める悪の店を認めることは、市民自治機関は慎重となるべきである。
因みに私たちは、HSP・高度感情移入者に依り「泣くことは長所」と主張する。例えば夏場は30分で200ミリと言われていて、そこにいるだけで十分頑張っているので「頑張れ」という掛け合いはない。これをまだ比較的楽なうちから20分で200ミリに増加させる正義とは弱虫の心であり、「増やさず大丈夫か」という掛け合いのみがなされる。ずっと健常とは弱虫の心を根本にするパラドックスによって成立すると知るべきである。このため制度ではなく名称が問題である。またHSPは孤独病、うつとは併発のある三区別をすべきである。
(2)130台より、大分、高知、松山、出雲市、旭川、区間フルのミニ新幹線敷設。中央京都・貴生川経由、北陸「湖西・新線・京都乗り入れ」。各団体痛み分け万機公論でないと前に進まない。小浜では新状況後の赤字によってJR西に沿線が何をされるかたまったものではない。嶺南不便を痛く感じバス連絡の新今津を追加。東京方面に遠回りであるが、一方中央はJR海に委ねたらこの後何度延期されるかわかったものではないという新状況、公費投入、JR・公共全体の費用圧縮のため結局中央京都・貴生川経由。京阪間先行開業、新大阪発着のぞみ一部が京都発着、東海道・北陸京都以東利用者、及び山陽新大阪以西利用者が、中央京阪間に乗り換える場合、割引料金設定。整備・ミニともピーク時増発分を中心に東側京都止め、西側新大阪止め。奈良不便を痛く感じ奈良線複線化、みや快毎時1本以上増発。京都駅東側2本西側1本の線路は極力東海道直下、住民影響最小限化(二大具体項目二・三中高鉄項目)。
(3)110台より、6台車地下市電復活、京都―五条坂―四条・三条京阪―平安神宮前―東天王町(ぎりぎりここから地上路面)―銀閣寺道―烏丸今出川、複線。京福(叡電再統合)も新線出町柳―北野白梅町-西大路三条、うち今出川以東市電と共用、既存区間含め複線。新駅、川端八条、千本四条他。
〇ビラのみ部
111-1、地下鉄岩倉延伸/ 111-2-1、京福出町柳―北野白梅町―西大路三条新設。再合併し全線複線化/111-2-2、上記より京都-烏丸今出川6台車市電復活/111-4、川端八条、千本四条他府下7駅新設/111-5、四条烏丸―四条河原町地下BRT敷設/111-10、城陽―木津間複線化、みや快最低毎時3往復/111-11、市バス、京阪バス等系統修正約34項目/112、将軍塚ロープウェイ敷設/115、インクライン復活/116、伏見城耐震化/122、霊山社、靖国社他旧招魂社文化財価値認識向上/123、御台所再建による紫宸殿(市民抽選直会)・神嘉殿(現称春興殿)使用の新嘗祭式次第両京実施。高御座・御帳台左右入換。
131、旧公社・電力純利益1兆は法人税7割、JR2社からは公共交通特定財源化/北、四、旧国鉄三セク等赤字補填/JR廃線禁止、各停一日4本以上/全国新駅追加、毎時2本以上、3.5km以上約400駅、うち毎時4本以上96駅。毎時2は地域維持、毎時4は「金の生る木」/大分、松山、高知、出雲市、旭川は工事のできない近郊部分フルのミニ敷設/山陽整備・ミニ2層建て少なくとも毎時3本/中央京都・貴生川経由、北陸「湖西・新線・京都乗り入れ」。嶺南不便を重視、バス連絡の新今津を追加。中央公費投入、JR・公共全体の費用圧縮のため結局中央京都経由。京阪間先行開業、新大阪発着のぞみ一部が京都発着、東海道・北陸京都以東利用者、及び山陽新大阪以西利用者が、中央京阪間に乗り換える場合、先行開業期間中限定で割引料金設定。整備・ミニともピーク時増発分を中心に東側京都止め、西側新大阪止め。奈良不便を重視、奈良線複線化、快速毎時1本以上増発。京都駅東側2本西側1本の線路は極力東海道直下。
141、単純な最低賃金引き上げには反対、生活必需製造輸送頒布の重要事業所同一労働非同一賃金半数時給2500円、時給千円は週30h以下、前者は寿退社はペナルティ、人員出力3分の2。バリアフリー基準駅前・コンパクトシティ中心部等スーパー等は公費補助設営、強制時短営業10時間程度・周辺コンビニ営業禁止/142、定期昇給禁止/143、有給、割増拡大(緊急呼出、時差ボケ、団欒世帯同時間帯、長距離異動、4週8休+有給20+無給20)。長期有無産育休、配分計画提出義務付/144、☆1の業務指導虐待(児童虐待と同じく、怒りの頻度の違いで、過った心理からできる広義、狭義の違いを区別)を救国提起。強制捜査、原則書類送検、加害者限定高額罰金刑/145、完全過失、民事補償と再教育のみ/146、整理解雇等について一定条件下での同業他社強制雇用/147、法人税累進化/148、公務員大企業の中途採用枠強制設定。
152、複世帯優遇、誰かが必ず一人になり鬱を招く核世帯システムを抑制/155、保育12時間、通所介護16時間程度に拡大。
161-2-1、戸籍とパートナー制度併用/161-1-3、身近な者とのスナップや過去頒布物のR18は単純所持では解禁/161-3、法律(16歳)より厳格な性交渉同意年齢設定条例の緩和/163、中絶規制強化/181、災害時安否、道路状況確認等の後方業務への警察力強化。災害時誰であっても構わないよう24時間部門強化、非24時間の背広組事後承認拡大、追放
191、内閣官房設担当大臣制度廃止、宮内庁、府に改称/192、重要会議議長の首相兼任必須を解除
201、政党助成金を議員年金に変更/202、代わりに政党について、体育館等利用緩和、公設秘書の関与解禁等緩和し、結果としてホテル、パーティ不要、全体秘書人数削減/204, 組織も大会(立法)の他は政策委員長たちと運営各部長たち等から成る執行(行政)委員会と書記局を中心とし、幹事長、総務会廃止、各会議賛成3分の2程度で可、議決後「止むを得ずの賛成」表明可。三桁規模の大会で党員による代議員直選。
211、公共交通の各種サービス、値上げを容認しコロナ前修復。
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【ご挨拶】26.05.22修正
こんにちは。いつも当アカウントにご訪問いただきありがとうございます。最近の諸活動ですが、
① 人間主義義援活動
http://blog.livedoor.jp/t_finepc/archives/cat_351864.html
※ここ約3年ほどは年間週1程度、その先は長期先送り中の紀行(特)のように比較的長期を検討しています。
メイン部記事例:
25.08.25 ボールペン数百本贈与/子どもたちへのインタビュー等
http://blog.livedoor.jp/t_finepc/archives/30022377.html
25.10.17 ボールペン数百本贈与/教科書・教室等視察/36万JPY贈与/物売り少年たちへの大規模喜捨等
http://blog.livedoor.jp/t_finepc/archives/30022859.html
② 一次メイン同人作家(【小説】)。(なろうに12.07.02に登壇、メディバンにて15.12.08以前に累計第4位、18.12現在累計第1位1年以上継続を維持したまま、現在はマイナーなものの紙版も発行できるBCCKSにて活躍中。20.09.26よりBCCKSの機能を活用した電子書店(『瑞洛書店』)の運営者)。
☆ 現在執筆中:小説『霊力使い小学四年生たちの京域信仰』 http://blog.livedoor.jp/t_finepc/archives/cat_89896.html/
『霊力使い小学四年生たちの畿域信仰』 http://blog.livedoor.jp/t_finepc/archives/cat_89897.html/
『霊力使い小学四年生たちの日本信仰』 http://blog.livedoor.jp/t_finepc/archives/cat_89898.html:
うちいずれか、原則毎週火曜日更新。
おおよそ見開き約4ページ(通常40*30換算での数値で記事などで述べますので、BCCKSでの数値とややずれます。また2話で1巻ですので、BCCKS上は偶数話は奇数話を足したページ番号になります)。
③ 『【レスの方針】全滅か、全員無事か、出生率確保に関わる営業勝敗をやめなさい~大型政府・大型家庭、人間絆が再生される所まで~ 24.11.07版』 http://blog.livedoor.jp/t_finepc/archives/cat_74603.html
※演説オフテスト(今後10年程度をめどに検討)
http://blog.livedoor.jp/t_finepc/archives/cat_243210.html
③特 当ブログ/ツイッターにて丁寧語主体実名固定ハンネつき+板自己レス保管、ニュースコメント、時評など。
④ ツイッター
自己垢の他、実況用の一次キャラ垢、也垢グループ「天路組」にて保管室委員/保管係を担当。
また二次のアカウントグループ「也垢グループ中央人間主義迫害解放機構」(中人放)とは外部友好グループ。
ブロック禁止、主語のなるべくの明記、外部へのリプライは一人がした場合他の内部はノータッチ、内間リツイートのガイドライン策定などネチケット重視。
また、乗っ取り対策には親告制を導入し高度な内部自治を実現。一般垢の方々と交流するだけに留まらず、交換手として彼らの声を聞き、それを届けることは、私にとっても喜びとなっています。
もともと創作物は逃げ込む場所ではなくストレートに影響を受けるものと思っていましたので、振り返ると、全垢リンク、実名使用、なるべくの丁寧語、ブロックの禁止などは、交換手を担当している也垢たちの影響であると感じています。
「ご挨拶」の中でしのちゃんより、
「私たちには確かに次元の違いを基にする大小のハンデを抱えていますし、何より私自身も微力です。ですが、文化的であることは自負しています。
ハンデというのは、不法な攻撃を受けやすいという意味です。ですが白黒つけて言ってしまいますが、その攻撃は非文化的です。
私たちが各々自我を持ってここで出会って交流できる時間は限られています。非文化的なことに時間を使う余裕はないのです。」
とあり、私もこれに基づいて活動しています。
④特 ツイッターその2(也の子たちの特別な活動。以下④特は天路組、中央人間主義迫害解放機構の合同を含む、中央人間主義迫害解放機構全体ツイプロからの転載)
〇 恒常化しているもの
・ 執筆&一次実況、執筆&二次実況
天路組の交換室員たあくんが執筆作業中にしていたツイートが元で、どうせならこれももっと楽しくしたいとのことで、天路組の子たちは輪番で、「自分が自分の映っているTVを見るような感じ」で実況をしています。但し小説の定期更新は火曜日でネタバレは避けられないので、それがOKな方向けです。さらに一次が終わった後、二次の子たちも中央人間主義迫害解放機構人間主義防衛部から参加しています。
参加:天路組:朝霧珠洲、宝塚耐、石橋雲雀
:中央人間主義迫害解放機構:星野ひなた@割算ができるなら出生率で勝敗しない、飛鳥ももこ@ツッコミ弱め、椎名つばさ
・ 対同一日課event_and_thought
天路組内部での活動です。リアルでいっしょにいるときには、保険的側面が強い、体や頭を動かす作業に付属する、強制性が自然に発生する、ミニ会話…。皆さんは作業にばかり気を取られていますが、実はこれによる心の働きが裏の中心です。天路組一次が言う施策がなされず、日本国民は指導虐待・パワハラ・DVなどへの対処に失敗していて、たとえ頭や体が通常であっても頭痛や幻聴が発生する孤独病を抱えています。日本国民の皆さんは、何か特効薬はないかとxやtalkに集まり、二次以下の三次で死屍累々としています。そのような中、ここではオンラインによる「強制性」、「対同一性」、「日課性」の三項目に注目することを提示しています。元々から親しい者たちとの間でEATをし続けることにより、孤独の気持ちを小さくさせ、新たな現場で日本国民としての誇りの気持ちが勝ることを主眼に置いています、但しここでは次元ハンデがあることに留意がいります。
参加:天路組:朝霧珠洲、茨木美濃、宝塚耐、御薗未熟、時雨
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その他のプロフィール
〇 京都府宇治市在住
〇 関西学院大学法学部卒
〇 中学生の時に国内旅行管理者資格取得
〇 大学生の時、修行僧が草庵を結びそうな山中に下宿してしまい、うつ病を発症。その後の再診では遷延うつ病となる。手帳は精神2級。なおこれは今でいうところのHSPであると思われる。
恥を忍んで書けば、数年以上臥せっていた時期もあったものの、警備員の業務が安定、現在は警備隊リーダーも担当。
〇 初詣は日本三社(伊勢(代参日向)、石清水、上下賀茂)プラス旧招魂社霊山護国神社。
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webでは主にBCCKS、ブログ、ツイッターを利用しています。
〇 洛瑞書店
https://bccks.jp/store/197524
※ BCCKSの機能を活用したWEBの書店です。同書店から出版も実施し、私の小説/随筆/論説を発表しています。
〇 ブログ
http://blog.livedoor.jp/t_finepc
〇 ツイッター
@sigure_pc
〇 その他のご連絡先:[email protected]
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2/8 信仰系列の原因人間中間派のパターンについて(朝霧文書
◎ 信仰シリーズの「原因人間」、とくに「中間派」のパターンについて(朝霧文書、文責:朝霧珠洲、天路組本垢ツイプロより転載、25.12.08)うち、☆今後のパターン説例
〇例1・業務指導虐待として、不自然に叱責の頻度が多い(例えばマニュアルとアドバイスとの混同等)先任が加害者、言われる側が被害者・中間派、傍観者が中間派
→「虐待」という見方をすること。口述具体希求はそのような虐待を業務指導虐待とし、原則直接の加害者が責任を負い、書類送検・高額罰金刑での対処等。
〇例2・コンビニオーナー/長時間営業スーパー店長などが被害者兼中間派、カスハラなど利用客が加害者
→中間派は自分が自分の町に重要な物品提供をする時間を夜8時まで等と決め、世帯と団欒の時間を確保し、その世帯のために年金を支払うことを決意。口述具体希求は、公共団体のルールに依って、そのような重要な物品提供の時間を規定すること。
〇例3・定期昇給の代わりに違法残業を強いられ、それ故に転職を迷う壮年従業員が中間派、それを命じた上司等が加害者
→低賃金ながらも転職を決意。口述具体希求は、いじめ以外何も生まない定期昇給禁止。
〇例4・夢が主士でありながら、単なる転職ではない、「定例コース」としての寿退社が目的の女性社員について、会議にて、重鎮たちから社長への諫言を排除し胡麻をすり、その胡麻すりを「定例コース上でのメジャーな作業」としてみたものの、自分自身もそんな社長から業務指導虐待を受け、その社長が加害者、女性が中間派。
→夢が主士である場合は非正規で満足でき、相方のポジションの妨害をしてはならないと発見しその国民周知を口述具体希求。また自分には該当しないものの、本当に定年までいたい女性にも思いをはせ、彼女たちのために、産育休の配分見本の作成を公共団体等に口述具体希求。
〇例5・バス・トラック運転手、医療従事者等でカスハラ等をした利用者が加害者、完全過失の業務上過失をした彼らが被害者・中間派
→当該会社、病院等で、民事補償と再教育以外の負担を、その世帯を含めて、社員一丸となって極力なしにするとともに、公共団体等にその廃止を口述具体希求。
〇例6・同業他社が今どき大してあるはずのない技術革新を口実に、実は今どき定番の違法残業等により、同業自社を圧迫、整理解雇等に追い込み、その他社が加害者、他社と自社との間に立つ関係の従業員が中間派、整理解雇対象者が被害者
→両社ともに仲のいい従業員同士の協力により再雇用を実施し、その世帯を含めて守るとともに、一定条件下での同業他社による強制雇用の義務化を公共団体等に口述具体希求。
〇例7・単身世帯になった恒例の父に対し、妻の無責任・ポジティブな讒言により核世帯継続となり、父が被害者、夫が中間派、妻が加害者
→頭と体が安全に動いても、必ず心に依り孤独病の諸症状を発症することを正しく理解し、夫がきちんと妻を指導し、父を迎えることを決意し、核世帯に必ず潜在している甚大な危険を発見し、その危険性を国民周知を口述具体希求。
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自己紹介4/8 東亜四カ国現代史ノート台湾
◎ 台湾
【1】蒋介石政権
(1)蒋介石政権
○45.08に光復
○47.02に二・二八事件
○49.08に米国が中国白書を発表。米国は台湾解放を容認。
49.10に中華人民共和国が成立。12月に国民党は台湾遷都を決定。
○50.01、トルーマン米国大統領が台湾不介入宣言。また国務長官アチソンが「ア
チソンライン」を発表。韓国・台湾を米国の防衛ラインとしないという内容。
↓
6月に北朝鮮が韓国に侵攻。米国第七艦隊が台湾海峡防衛を開始。
〇50 総統府に情報機関である機要室資料組が発足。非公式機関中央党部政治行動委員会の公称。旧国民政府軍事委員会調査統計局、国民党中央党部調査統計局などの再編。主任に蒋経国が就任。共産党スパイ容疑で一説によると約4万名逮捕、95%が冤罪とも。合わせて国防部政治部(51年国防部総政治部に改称)主任にも蒋経国が就任。
○52に日華平和条約締結。
〇52 国民党七全大会及び同一中全会開催、中央常務委員序列第一位に陳誠(同年から副総統)、第二位に蒋経国。国防部と別に総統府に国防会議設置、蒋経国が副秘書長に就任。
〇53 呉国楨台湾省主席が事実上の亡命に近い形で渡米。呉国楨自身がもともと親米派で蒋親子と不仲であり、暗殺の危機を感じたという説もある一方、江南事件の原因となった「蒋経国伝」では、不自然な交通事故に遭いかけたため、蒋介石の慰留があったにもかかわらず渡米したとも。
○54.03に動員戦乱時期臨時条款の無期限延長を決定。李登輝政権に至るまでの長期戒厳令の端緒。国民大会代表、立法委員らが「万年議員」に。
○54.12に米華相互防衛援助条約締結。
↓
中国側が翌55.01に浙江省の大陳島を攻撃。台湾側は大陳島を放棄。
〇55.03 総統府国防会議に国家安全局設置、総統府機要室資料組からの改組。共産党スパイ検挙などが収束。
○55.04にカシミール・プリンセス号事件。中国の周恩来首相が搭乗を予定していた航空機「カシミール・プリンセス号」が 空中爆発。情報機関(台湾国防部秘保局)によるテロといわれている。
一方中国側は58.08に八・二三金門砲撃を実施。戦線は膠着。
〇55 孫立人事件。元陸軍総司令孫立人が部下のクーデターを容認したとして軟禁。88年の蒋経国死去まで続く。現在冤罪扱い。
○56.10に蒋介石が70歳の誕生日記念行事の一環として自分の政策についての意見を募集。
↓
雷震が編集長を務める雑誌「自由中国」が蒋介石批判を展開。
〇57.06 米国大使館襲撃事件。
米台双方工作員の物資横流しをめぐる対立から米側工作員が台湾側工作員を射殺、米軍事法廷が同工作員に無罪判決、これに反発した蒋経国の関与により台湾工作員らが米国大使館を襲撃、蒋介石が遺憾を表明。以後65年の国防部長就任まで蒋経国は公職解任。
〇60.09に自由中国事件。雷震らを逮捕。
○日本、63.08に倉敷レイヨン・ビニロンプラントの中国向け延払い輸出を承認。
さらに10月、一時台湾亡命を求めていた中国代表団通訳周鴻慶を北京に送還(後に本人の意向が変わったとされる)。日華関係が悪化。
63、台湾社会救助調査弁法制定。
○65年1月に蒋経国が国防部長に就任。一方副総統陳誠が同年3月に死去。蒋経国は69年に行政院副院長に就任。蒋介石からの権限移譲が進む。
67年 国防会議を国家安全会議に改組。このうち情報機関国家安全局も引き続き下部機関として存続。蒋経国が国防部長であった時期では権威拡大。
○71年、米国大統領補佐官キッシンジャーが北京訪問。また国連総会は台湾を国連から追放。日米が提案し台湾も賛成した二重代表制は否決される。
【2】蒋経国政権
(1)蒋経国政権
○72.07に蒋介石は心臓発作で昏睡状態となる。73.01に意識は回復するものの、以降公式の場には出なくなる。
○72年2月にニクソン米大統領訪中。72.09に日中国交正常化。台湾は対日断交。
またこの年5月蒋経国が行政院長に就任し権限移譲がほぼ完成。自由地区の議員定数を増加。また本省人閣僚も増加。李登輝が政務委員に就任。
○翌73年に十大建設を発表。
○75年に蒋介石死去。厳家淦が総統に就任。また蒋経国が国民党中央委員会主席に就任(党の代表を総裁から中央委員会主席に)。
○78年に蒋経国が総統に就任。副総統は本省の謝東閔が就任。
○79.01に米中国交が正常化。同時に米国は台湾と断交。4月に米議会は台湾関係法を制定。またこれを受けて中国は20年間続けた金門島砲撃を中止。
○同年夏に雑誌「美麗島」が創刊。世界人権デーの12月10日に高雄で大規模デモを実施し警官隊と衝突。事件の首謀者として美麗島関係者らが逮捕される。
○84.10に江南事件が発生。「蒋経国伝」の著者劉宜良がロサンゼルスで暴力団「竹聯幇」の構成員に暗殺される。国防部情報局長汪希苓の関与が発覚した他、蒋経国次男の蒋孝武の関与も疑われている。
○84年より副総統に李登輝が就任。
○86年、蒋経国、国民党中央委員会全体会議にて政治改革を発表。
民主進歩党結成。蒋経国はこれを黙認。
○87年、治安維持法に相当する国家安全法が制定。代わって戒厳令解除。
【3】李登輝政権
(1)李登輝政権
○翌88.01に蒋経国死去。総統に副総統李登輝が就任。蒋経国の死去は突然で、李登輝がなしていった民主化は当初、絶対的権力をもっていながらそれをなそうとしていた蒋経国によってなされるとの見方が大勢。
○89年より党禁解除。翌90年に李登輝と民進党と与野党党首会談を実施。
90.03 李登輝、総統に再選。以降公約であった動乱戦乱時期臨時条款の撤廃に注力。
動乱戦乱時期臨時条款の撤廃に向け超法規的機関「国是会議」の6月招集を発表(一種のクーデター。なお国家元首自身が発動)。会議の招集の一週間前に司法院大法官会議(憲法裁判所に相当)は国会全面改選を容認。
○翌91年5月に、総統としては初の内外合同記者会見を実施し時期終結を宣言。
91.12.21 第二回国民大会代表選挙。以降適宜改憲。総統民選制は94.08に規定。
李登輝政権発足数年後前後に「李登輝情結」現象。日本統治経験・戦時下世代の本省人に李登輝支持派が不支持派を大幅に上回る。
○95年2月に中国の江沢民が江八点を発表。李登輝は4月に李六条で応酬。
この後6月李登輝は訪米。コーネル大学にて講演。
↓
中国は強硬姿勢に転換。7月以降東支那悔の公海上でミサイルの発射実験を実施。翌年の総統選挙中にも継続。米国は空母を台湾近海に派遣。
96.03 第三回国民大会選挙。またその直前の95.12に立法委員選挙。立法委員選挙にて国民党は改憲に必要な4分の3に届かず。
○96.03に初の民間総統選挙を実施。李登輝が再当選。
同年国是会議に類似した、超法規的機関「国家発展会議」が開催。立法院野党民進党との「取引」により省政府廃止と行政院長の総統指名制(それ以前は立法院の同意が必要)が決定。98年に省政府・省議会廃止。
○99年に李登輝は二国論を発表。
99年、国民大会、任期延長改憲。司法院、これを無効とする。00年以降国民大会は非常設へ。
【4】陳水扁政権
○00.03総統選。李登輝は国民党内で人気の高かった宋楚瑜ではなく連戦を後継に指名。民進党の陳水扁が当選。初の政権交代が実現。李登輝は国民党主席辞任に追い込まれる。
陳水扁は総統就任演説に於いて「四のノー」を発表。
○01.04に李登輝は病気治療を名目に訪日、これを巡り混乱した日本政界を叱責。また8月に台湾団結連盟発足、陳水扁政権との閣外協力を図る。
○02.08に陳水扁は「四つのノー」を撤回、「一辺一国論」を発表。
○02.03
01年、フランス、クリアストリーム事件。収賄用の匿名口座を持つフランス政治家のリストとされる文書が2001年に発覚。04年、フランス検察、リストを虚偽と結論。
06年、当時のシラク政権下、外務大臣であったド・ビルパン前首相が、同事件を受け、政敵でったサルコジ氏(07年大統領当選)の失脚を図り、彼らの極秘調査を実施していたことが判明。ド・ビルパンは偽告発や偽造文書行使の容疑で起訴されるも、こちら側ものちに無罪確定。
上記のフランス国内の事件を受け、91年のフランス製駆逐艦購入を巡り、一旦は台湾への売却を見送ったミッテラン政権のフランス政府高官に40億フランが流出した疑惑、さらにそのフランス経由で中国にまで流出した疑惑が発生。また93年これに絡んで台湾海軍大佐が暗殺され、李登輝の関与疑惑が浮上していたものの、監察院が李登輝の関与の否定を発表。
〇02年に機密文書が流出? 李登輝の承認のもとで総統府国家安全局が94年頃に裏口座を開設、約35億台湾元(約110億円)をプールしたとの疑惑が発生。陳政権は国防機密漏洩の疑いでこの問題を報道した雑誌を押収。
○04.03に三・一九銃撃事件。総統選挙投票日の前日に陳水扁総統が銃撃される。翌日の投票の結果僅差で陳水扁が当選。また台湾初の住民投票を実施、中国のミサイルの撤去を求めるが不成立。
投票の再集計は不実施。
銃撃事件の犯人は自殺したとされている。
05.06 国民大会廃止改憲。
05.11 陳水扁、クリアストーム事件の再調査を公言。実際には特に何もなされてはいない。
06.11 陳の妻が総統府機密費私費流用容疑で逮捕。
07.01 台湾高速鉄道開業。
08 立法院選挙で民進党大敗、陳は党主席辞任。
【5】馬英九政権
08.05.20 馬英九国民党主席、総統就任
三不政策(台中統一・台湾独立・武力行使のいずれもしない)を打ち出す。
旧来の国民党、また民進党双方の路線とも異なる一方、比較的台湾では現実的として支持されやすい内容。
08.11.11 総統府機密費流用及び資金洗浄容疑で陳水扁逮捕。後16、健康悪化を理由に自宅療養名目で釈放、同じく裁判は事実上中途終結。
09.08 八八水災 台風8号により681名死亡。政権の求心力は一時低下。
一方三不政策などにより政権へのダメージは結果的に軽微。
10 志願併用制を採用。完全志願制を目指すものの募集が低迷。
11.06 李登輝、97年から00年まで、国家安全局の裏帳簿から、自身の創設したシンクタンク「台湾総合研究院」へ、約6億3千万円の公金横領、資金洗浄で起訴。のちに13.11無罪。
12.01 省庁再編に段階的に着手。
12.01 総統選にて馬英九が再選。
自己紹介3/8 京都日本社寺用語ノート
【特別名勝】…名勝のうち特に価値の高いもので、国内に36件あります。東日本に12カ所、西日本に10カ所、京都市内に12カ所、京都市外府内に2カ所(浄瑠璃寺、天橋立)あります。
(府下)
天橋立
浄瑠璃寺
(市下)
大仙院書院
大徳寺方丈
鹿苑寺
竜安寺
慈照寺
法金剛院青女滝
天龍寺
二条城二の丸
金地院
西本願寺大書院
西芳寺
醍醐寺三宝院
【総本山・大本山・本山1】…仏教の各宗派において特別な位置にある寺院のことです。大本山が最上の宗派もあります。浄土宗鎭西派は総本山(知恩院)の下に大本山を置きます。真宗は本山と呼称します。
【総本山・大本山・本山2】…日蓮宗は現在宗教法人として10程度にわかれており、日蓮門下連合会加盟と非加盟があります。古くから6つほどの門流に分かれ、京都でも日像系(四条門流・妙顕寺)、日静系(六条門流・本圀寺)などがありました。
【総本山・大本山・本山3】…戦後の山科移転前、本圀寺は西本願寺の北側、日蓮宗系としては広大な敷地がありました。さてノーマルの「宗教法人日蓮宗」は身延山久遠寺を総本山とし、霊跡寺院(大本山・本山)、由緒寺院(本山)、一般寺院があります。
【二所宗廟】【(日本)三社】…皇室の祖先天照大神を祀る明神上七社一位伊勢と、皇室中興の祖応神天皇を祀る同二位石清水を合わせて呼びます。また京都を守護する同三位賀茂と合わせて(日本)三社と呼び、特に別格視されます。
【明神社1】…明神二十二社、二十二社とも。延喜式神名帳、一宮などとは別に広く崇敬を得ていた22の神社のことです。平安前期より選ばれ1081年制度化、上七社、中七社、下八社で順位があります。上七は伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日の順です。
【明神社2】…次第に薄れていくものの上七だけは影響力が強く、1341年足利将軍家菩提寺等持院境内社六請神社は平野のみ除外、1871年近代官大ノミネート順は石清水・賀茂の入れ替えで、式内名神/近代官大の中でもとりわけ重要視されています。
【神社本教1】…大半が京都市内鎮座、約80あります。府社以下系です。ちなみに神社本庁京都府神社庁所属は約180です。戦前から京都府は官国幣社数及びその神職数が全国最多、一方府社以下数はその割に神職数が極端に少なかったため、京都府神職会は地区別支部とは別に、
【神社本教2】…府内官国幣社神職から成る「京都支部」と、市内府社以下神職から成る「京都市支部」を置いていました。このため官国幣社級と府社以下級とで結束が取れないこともあり、戦後旧京都市支部系の一部などが神社本庁参加を拒否し神社本教を設立しました。
【神社本教3】…このため主に市内の神社は神社本庁、神社本教、単立の三択を迫られ帰趨に迷い、結果官国幣社級でも伏見稲荷大社(但し本庁との関係は良好)、白峯神宮(後本庁参加)、梅宮大社、出雲大神宮などは単立を選択しました。
【神社本教4】…本庁と本教とで特に教義などに差はありません。また特に対立しているわけでもありません。但し本教の方がやや精神面重視なのでときどき本教が本庁を批判したりすることもあります。
【御所1】 … 「内裏」、「土御門御所」などとも。現在の御所はもと里内裏(臨時の内裏)のひとつ土御門東洞院殿が原型です。南北朝期から内裏として定着しました。現在のものは安政期創建です。
【御所2】 … 正殿は紫宸殿、殿前右に左近の桜、左に右近の橘を配置しています。東京奠都の後も中央に高御座を設置しています。また新御車寄などは現役で茶会などに用いられます。
【御所3】 … 旧皇室典範第11条の規定により、昭和までここで大典を執行していて、現代の反比例を疑問視する声もあります。天正期に御常御殿が造られてからは執務・儀式などは清涼殿が中心となりました。
【御寺(みてら)1】…皇室の菩提寺である泉涌寺を指します。上皇さんでは在位時代平均5年に1度、泉涌寺を護る会総裁の皇嗣さんは毎年参拝してはります。ちなみに皇嗣妃さんは尼門跡の代表的存在である大聖寺の護友・文化会の名誉総裁となってはり毎年参拝してはります。
【御寺(みてら)2】…天皇さんがきゃはったときに使わはる御座所玉座の間は、直接の踏み込みは禁止ですが手前まで行けるため、公開されている皇室の屋内空間として稀な存在です。ちなみに上皇さんの入洛件数は平均1.5年に1度で、御用邸と軽井沢を除くと関東以外の都道府県では最多でした。
【門跡1】…皇族・貴族などが代々住職を務めた寺院のことです。うち法親王・入道親王が住職として居住したものを宮門跡または十三門跡と称します。照高院は廃絶、大津市に円満院、日光市に輪王寺がある他は京都市内所在です。
【門跡2】輪王寺住持は優先的に天台座主、寛永寺住持を兼ね、東叡大王と呼ばれましたが、カウントは輪王寺でです。またこのポジションは、江戸幕府が朝廷本体に抵抗したり無理難題を言ったりするときに、朝敵呼ばわりされることを防ぐ人質的な側面がありました。
輪王寺(日光市の1カウント)
妙法院
聖護院
照高院(廃絶)
青蓮院
三千院
曼殊院
毘沙門堂
円満院(大津市)
仁和寺(門跡筆頭)
大覚寺
勧修寺
知恩院
【国史見在社】…日本書紀~日本三代実録までの六国史に記載のある神社のことですが、通常は式外社に限定して呼びます。
【式内社】…名神大社の他、延喜式神名帳に記載された2861社を指します。記載されていない社を「式外社」と呼びます。官幣大社(近代社格とは別物です)、国幣大社、官幣小社、国幣小社からなります。官幣社は神祇官より、国幣社は国司より奉幣を受けます。
【名神大社(みょうじんたいしゃ)1】…927年完成の延喜式巻3、「臨時祭」の「名神祭」の条下に「名神祭式」として203社285座、巻9、10の「神名式」(延喜式神名帳)に226社313座が記載されています。
【名神大社2】…現在では小さな社や祠となっている社もあります。なお明神第2位の石清水は当時僧侶管理だったため式外社です。また東京都には島嶼部にしかありません。
【四神相応・鬼門】…北;上賀茂神社、西;松尾大社、東;八坂神社、南;城南宮 鬼門;延暦寺・日吉大社 裏鬼門;石清水八幡宮
【勅祭社1】…祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる神社を指します。主に宮中において祭祀を司る掌典が派遣されます(法的には皇室の私的使用人)。全国に16カ所あります。
【勅祭社2】…うち明神三社である三位賀茂(葵祭)、同二位石清水(旧放生会)に、これに春日を加え三勅祭と言われています。一方近代社格では賀茂が上位に来るため筆頭勅祭とされています。
【(国指定)名勝】…芸術上または観賞上価値が高い土地について、国が文化財保護法第109条第1項に基づき指定したものです。2015年現在、府内には国指定名勝は全国の43/349件が所在しています。
【国宝】…重要文化財のうちさらに価値のあるものです。2024年現在、府内には国宝建造物は全国52/232件が所在しています。
【官幣大社(近代)1】…近代社格制度は1871年に制定されました。約半数は関西に鎮座しています。官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社>府県社>郷社>村社>無格社の順、官社は宮内省、国社は国庫から幣帛が供進されました。
【官幣大社(近代)2】…別格官幣社は人物神を祀ります。靖国神社も別格官幣社です。同列となれば差はないのですが、列格の順や時期などによる差は発生します。最初の列格では明神社の順位を破って賀茂が石清水より先に来て官大筆頭となったことが注目されます。
【官幣大社(近代)3】…東京には日枝、明治の2つがあります。日枝神社は1912(大正元年)東京初の官幣大社となりました。
【三大祭】 … 葵(賀茂)、祇園(八坂)、時代(平安)
【三大奇祭】 … 鞍馬の火祭(由岐)、やすらい祭り(今宮)、太秦の牛祭(広隆寺・休止中)
【御修法(みしほ/みしゅうほう)1】 … 延暦寺、東寺の最重要行事です。もともと宮中に僧を呼び儀式をする意です。東寺では、現在1/1~1/7に東京で神式で執行されることに続き、1/8~1/14に「後七日御修法」として勅使を派遣、
【御修法(みしほ/みしゅうほう)2】 … 天皇の着衣である御衣を形代に、真言各派(金剛峯寺の高野山真言宗、川崎・成田・高尾なども所属する智積院の智山派なども真言宗です)の代表らが集い、灌頂院にて法要がなされます。最終日は灌頂院が公開されます。
【御修法(みしほ/みしゅうほう)3】 … また御衣は勅使が御所に戻します。一方延暦寺では4月に天台各派代表らが集いこちらも勅使持参の天皇の御衣を形代に「御修法大法」として法要を執行します。
【御修法(みしほ/みしゅうほう)4】 … 特徴として、勅使門は多く見られますが、東寺小子房の勅使門はこのため定期的に使用される(それでいて弘法市ではこの前で雑多ながらくた市がなされる)ということ、勅祭など神道では「私的使用人」の立場である掌典が勅使を担当するのに対し、
【御修法(みしほ/みしゅうほう)5】 … 仏教では宮内庁京都事務所長という一般職公務員がそうであるということ、かつて内裏の真言院でなされていたものが東寺灌頂院でとなった結果、
【御修法(みしほ/みしゅうほう)6】… 南方の東寺にて1月に御修法に対し、5月には北方の賀茂社で葵祭、4月に鬼門延暦寺での御修法に対し、9月に裏鬼門で石清水祭と、神仏習合が感じられる日程が成り立っていることなどが挙げられます。
【五山1】…臨済宗にて鎌倉末期より選定が始まり、義満期以降に確定されました。現代ではその大半は宗派自体が異なります。
南禅寺 - 別格
天龍寺 - 第一位
相国寺 - 第二位
建仁寺 - 第三位
東福寺 - 第四位
万寿寺 - 第五位
【五山2】…なお臨済宗では五山の下に十刹(1386指定のものの1486にはすぐに40以上に拡大されます)、諸山、林下を置きますが、妙心寺(敷地の広さから西の御所とまで言われる)、大徳寺といった現代では規模の大きい宗派の大本山も林下に属します。
【西国/洛陽三十三カ所】 … 西国三十三カ所は日本初の霊場で、奈良時代に端を発し、花山上皇によって整備されました。洛陽三十三か所はより近距離にと後白河法皇が整備したものです。どちらも対象は観音です。京都で霊場となると凄まじい数になってしまいますが、その中にあって観音霊場は由緒ある代表的な存在でもあります。
自己紹介5/8 東亜四カ国現代史ノート韓国
〔1〕第一共和国
(1)韓国成立
○日本の敗戦により45.08に解放。
南部は連合軍による軍政。進駐軍司令官はジョン・ホッジ
呂運亭らは9月に朝鮮人民共和国の成立を宣言。→連合国により非合法化。
45.12に米英ソ外相会談。米ソ対立の背景から、連合国による最長5年間の信託統治を発表。
↓
早期独立を求める保守派が反対。容認した韓国民主党首席総務宋鎮禹は右派により暗殺される。
○46.10に一○・一 事件。大邱で左右のデモが衝突。
12月に連合国軍政庁は過渡立法議院を設置。
47.07頃に呂運亭(中道左派・勤労人民党党首)、張徳秀(韓民党政治部長)など要人の暗殺が相次ぐ。極右韓国独立党党首金九の仕業とされる。
済州島事件;48.04、総選挙反対派の左派が済州島で暴動、混乱が長期化、韓国軍、警察などが約6万人を殺害、済州島から日本へ大量の密航者が発生し現在の在日韓国人の大半の一世に。
○米ソ合同委員会は数度開催されるが南北合意に至らず。
↓
48.05に国連主導のもとで南朝鮮単独で国会議員総選挙を実施。中間派(統一派)はボイコット。
(2)朝鮮戦争
○ 48.07に国会が大韓独立促成国民会総裁の李承晩を大統領に選出。
48.08.15に連合軍政が終結、大韓民国成立。
48.09 反日派の韓民党が多数を占める国会が遡及法の反民族行為者処罰特別法を可決。一審で死刑確定可能な法律。
↓
警察は無視。反民族特別委員会は独自に逮捕活動に乗り出す。
↓
委員会は強制解散へ。
48.10.19 麗水・順天事件。済州島4.3事件鎮圧命令の下った国防警備隊内部で南朝鮮労働党所属の兵員が反乱。南労側は警察官約100名、市民約500名を虐殺、順天制圧。主力は麗水に移動。国軍が出動し制圧、鎮圧の際市民約8000名を虐殺。
49.06.05 国民保導連盟が組織。再教育を目的とし、逮捕しないといい要監視対象の共産主義者に加盟を進める。
49.12.24 聞慶虐殺事件 韓国軍がパルチザン(共産党テロリスト)とみなし住民88名虐殺。
50.03に農地改革法公布。地主解体。
5月に第二回国会議員総選挙。中間派も参加、中間派が大勝。李承晩は自由党を創設。
○50.01に米国務長官アチソンがアチソンライン発表。韓国・台湾防衛放棄を示唆。
↓
50.06.25に北朝鮮が韓国に侵攻、朝鮮戦争勃発。8月には釜山を除くほぼ全土に進軍。
↓
9月に国連軍が仁川に上陸。新義州の手前まで進軍。※ ソ連は国連安保理決議ボイコットのため安保理決議82成立、国連軍名義での出動。
↓
11月に共産党下の中国が人民志願軍を派遣。38度付近で戦線が膠着。
戦線が半島の全域を1往復しており、敗走側が敵産化防止を狙い、敵の仕業と称して焦土作戦を展開している可能性には要注意。51.06より停戦交渉開始。
50.06.27、李承晩、保導連盟加盟者の処刑を指示。約20~120万が処刑。公開済み米軍機密書類に・米軍・国連軍将校らの立ち会い、承認あり。
50.06.28 韓国軍ソウル最終防衛線崩壊。参謀総長、漢江大橋爆破下命もすぐに撤回。間に合わず爆破され500~800名死亡、現場の爆破担当将校が処刑、62年に名誉回復。
50.07.11 小倉黒人米兵集団脱走事件 在日米軍の駐屯する日本、小倉市・城野補給基地から武装した黒人兵士約250名が脱柵して脱走、狼藉。米軍が鎮圧。朝鮮戦争初期に国連軍劣勢が伝えられる中での自暴自棄の行動とみられる。被害届約70件。
50.07.26 老斤里事件。米軍師団が「全ての民間人を敵とみなし発砲」を指示、民間人約300名、政治犯約1000名を虐殺、処刑。
51.01 国民防衛軍事件。急きょ編成された韓国軍国民防衛軍への給養を幹部が横領、兵員約9万名が餓死。
51.01.06-09 江華良民虐殺事件 江華島にて韓国軍、韓国警察、韓国民兵らが住民200~1300名を虐殺
51.02.09-02.11 居昌事件 韓国軍、パルチザンとみなし市民385名を虐殺。
○52.05、臨時首都の釜山に戒厳令。
(3)李承晩政権
○7月に自由党は国会で憲法改正、大統領直接選挙制へ移行。8月に李承晩再選。
サンフランシスコ講和条約発効直前に李承晩ライン設定を強行、日本漁船を拿捕。抑留約4000名、死傷者44名。
53.07に朝鮮戦争停戦。
54.05に総選挙。自由党大勝。
11月に大統領の三選禁止撤廃を柱とする改憲案を提出。賛成票が定数の3分の2に一票不足したが自由党は改憲を強行(四捨五入改憲)。
○56.05に大統領選挙。民主党大統領候補の申翼熙が選挙期間中に急死。
大統領に自由党李承晩、副大統領に民主党の張勉が就任。
左派系候補・進歩党委員長曺奉岩をスパイ容疑で処刑。現在冤罪事件と判明。
9月に張勉狙撃事件。真相不明。
59 韓国政府、日本の帰国事業阻止を目的に北韓送還阻止工作員65名結成。12月に日本で2名逮捕、新潟日赤センター爆破計画、新潟港への線路の爆破計画などが発覚。この他の密入国も逮捕や沈没などで全てとん挫。当時の駐日代表部は関与を否定。2011の朝鮮日報報道で関与発覚。
〔2〕朴正煕政権
(1)第二共和国
○60.03に大統領選挙。民主党候補の趙炳玉は病気治療のため渡米したが死去。
李承晩が不正選挙により大統領に当選。
○4月に大規模デモが発生、戒厳令宣布(四・一九学生革命)。
↓
国軍が中立を表明。
李承晩は下野
許政外務部長官が大統領権限代行に就任。 副大統領李起鵬が拳銃自殺。李承晩は5月にハワイに亡命。
○6月に憲法改正、第二共和国誕生。
7月に国会議員総選挙、民主党が圧勝、自由党は事実上消滅。
8月に国会は民主党旧派の尹潽善を大統領に選出。尹潽善は旧派の金度演を国務総理に指名。民主党新派はこれに反発し否決。張勉が首相に就任。
以後デモによる混乱が続く。10月に国会乱入デモが発生。
また学生団体などが板門店での南北学生会談開催を提唱。
(2)第三共和国
○61.05に陸軍少将・参謀本部作戦参謀部長の朴正熙が軍事クーデターを決行し成功。
国家再建最高会議が発足。議長は陸軍参謀総長の張都暎、副議長に朴正熙が就任。大統領直属の中央情報部設置。
7月、満洲の企画院を参考にした経済企画院を設置。朴正熙が最高会議議長に就任、張都暎を反革命容疑で逮捕→一年後に釈放、渡米。
国家再建最高会議にて生活保護法、医療保険法整備。
○63年に民主共和党発足、民政移管。直接選挙で朴正熙総裁が大統領に当選。
○65年に日韓基本条約締結。反対デモに対し戒厳令宣布。
65.08.14 第一次人民革命党事件 中央情報部が41名を検挙、13名に有罪判決。後に冤罪事件と判明。
67.07.08 東ベルリン事件 中央情報部、東ドイツ駐留の北朝鮮大使館と接触した194人の韓国人を逮捕、107名立件、死刑含め有罪判決。05年国家情報院再調査、「事件は捏造でなかったものの、被疑者に対し強引なスパイ罪の適用があった」との結果報告。
68.01.21 北朝鮮、青瓦台襲撃事件 人民軍の対南工作部門所属の兵士31名が韓国侵入、青瓦台800m手前で銃撃。
68.01.23 プエブロ号事件。北朝鮮が米艦プエブロ号を拿捕。米側は青瓦台襲撃事件への対応も含め海軍空母機約200機を展開、米ソ交渉の結果乗員らは12月に解放。
68.02.12 フォンニィ・フォンニャットの虐殺 ベトナム戦争に参戦していた韓国軍が南ベトナムで民間人69~79名を虐殺。
69.09に大統領三選を認める改憲案が国会で可決。野党議員を国会に呼ばなかったためひったくり改憲と呼ばれる。
68.08.24 統一革命党事件 武器などを押収、73名起訴、4名死刑(現在も冤罪事件ではなく国家保安法違反。北朝鮮は称賛)。
68.11 李承福事件 北朝鮮の武装工作員部隊123名が江原道から船舶で韓国領に侵入し民家に侵入。子どもの反共発言がきっかけで民家惨殺。国軍・警察が逮捕、射殺。
○71.04の大統領選挙で朴正熙が三選。05国会総選挙にて金大中の野党新民党が3/1議席を上回り民主共和党での改憲が不能に。71.10にソウルに衛戍令が発出されます。一方北朝鮮首脳と極秘接触。72.05に李厚洛中央情報部長が金日成首相と極秘会談、同月末には朴成哲第二副首相が朴正煕大統領と極秘会談。
71.08.23 実尾島事件 青瓦台襲撃未遂事件に対抗する形で編成された特殊部隊31名の目的が南北共同声明を前に縮小、待遇に不満を持った隊員がソウル市内で反乱を起こし鎮圧。なおこの事件を扱った映画での、隊員らが元犯罪者との描写は脚色。
(3)第四共和国
○72.07に統一を前提とした南北共同声明が発表。
10月に戒厳令宣布。維新憲法案が公告される。
←南北対話を進めるために強力な国家体制が必要と説明。
当時はベトナム戦争の米軍劣勢などによるデタントの影響などもあるとされたものの、口実とされた両国政権の権力基盤強化が主目的だったと言われます。発端は韓国側の国会議員総選挙、北朝鮮側も主席制採用などの大規模な変革がなされます。
↓
改憲案は、大統領は任期6年、統一主体国民会議(議員は政党所属禁止)による選出。再選禁止規定を撤廃。
統一主体国民会議、国会の3分の1に相当する国会議員を与党維新政友会議員として選出。
戒厳令と同等の権限を持つ大統領緊急措置を規定。
↓
11月の国民投票で可決。
12月に統一主体国民会議開催。朴正煕を大統領に選出。第四共和国成立。
一方北側もこれに呼応し72.12.27に改憲、国家主席ポストを設置。以降統一ムードは次第に消滅。
○73.8に金大中拉致事件。
中央情報部(KCIA)李厚洛部長の指示で金大中が東京から拉致。溺死させようとするが自衛隊による哨戒で断念。5日 にソウルの自宅前で開放される。
朴正煕の関与はなかったとも。
日本親韓派(保守派)が主権侵害に憤慨。朴政権と田中内閣との間で政治決着。李厚洛中央情報部長解任(国会議員は継続)。
74.01.08 大統領緊急措置1・2号発令 改憲議論を禁止。罰則規定(15年以下の懲役)あり。
74.04 民青学連事件 大統領緊急措置4号発令(民青学連との接触禁止)。全国民主青年学生総連盟180名を非常軍法会議。75.02.15大統領特別措置により刑執行停止・釈放。05年に国家情報院が冤罪事件と発表。
○74.08 光復節にて文世光事件。在日朝鮮人の文世光が朴正煕を狙撃し、夫人が死亡。
74.11 最初の南侵トンネル発見。以後89年までに4本。韓国側は現在もボーリング探査を実施。
75.04.09 第二次人民革命党事件 23名逮捕、8名死刑判決、執行。大統領緊急措置7号発令、高麗大学校休校命令。現在冤罪事件と判明。
75.05.13 大統領緊急措置9号発令。集会、結社、出版、放送などによる改憲論議禁止。9号のみ79.12.08まで継続。
75.11.22 学園浸透スパイ団事件 日本からの留学在日約20名がスパイ容疑で逮捕。後に冤罪事件と判明。
76.03.01 金大中、民主救国宣言発表、大統領緊急措置9号違反で逮捕、懲役5年判決、2年後釈放。
76.08.18 ポプラ事件
板門店にて伸びすぎた北朝鮮領内のポプラの剪定を国連側が要求し北朝鮮が拒否。強制剪定を実施し交戦、米兵員2名が戦死。3日後国連軍側が大挙しポプラを強制伐採、金日成が謝罪。
○同年コリアゲート事件。在米ロビースト朴東宣が米議員や政府高官らの買収を図る。
77.03.10 米カーター大統領、在韓米軍撤退発表、後79.02.10に撤回。
78.12.22 国会議員総選挙 新民党、得票率で民主共和党を上回る
79.05.30 新民党、強硬派の金泳三を総裁に選出。
79.10.04 南民戦事件 地下組織南朝鮮民族解放戦線(南民戦)準備委員会が資金難から窃盗、中央情報部が摘発。84名逮捕、2名死刑(獄死・執行)、他は有期刑、88年までに全員釈放。人民革命党事件・民青学連事件などと異なり再審・冤罪とならず当時の判決が現在も有効。
79.10.16-20 釜馬民主抗争 10.04の、最大野党新民党総裁金泳三の国会議員強制除名を受け釜山、馬山(現昌原)で大規模デモ。
〔3〕第五・第六共和国
(1)第五共和国
○79.10に10.26事件。宴席にて金戴圭中央情報部長が釜馬民主抗争の対応などを口実に、不仲であった車智澈大統領警護室長と口論、彼、さらに朴正煕を暗殺。
鄭昇和陸軍総長は国軍保安司令部に金戴圭逮捕を指示。
保安司令官全斗煥少将が金戴圭を逮捕。中央情報部を掌握。
鄭昇和が戒厳司令官、全斗煥が合同捜査本部長に就任。
○79.12.12、統一主体国民会議開催、萑奎夏が大統領に就任。
同日粛軍クーデター勃発。全斗煥が萑奎夏の裁可を得ずに鄭昇和を逮捕。
○一方、10.26事件以降全国でデモが頻発。
80.04に舎北リンチ事件。江原道舎北の東原炭鉱の労働争議で御用労組の幹部が集団リンチにあう。
○5月18日に萑奎夏は戒厳令を全土に拡大。金大中を逮捕。
※ 後に82.12に米国亡命を条件に刑執行停止。85年に帰国強行、すぐに政治活動再開、当局黙認。
↓
光州事件が勃発。金大中の支持基盤地域である光州のデモが数十万人に拡大。死者154名。
国家保衛非常対策委員会が発足。
議長に萑奎夏、常任委員長に全斗煥が就任。
○8月に萑奎夏が大統領を辞任。統一主体国民会議は全斗煥を大統領に選出。
新憲法案を発表。国民投票を得て成立。
↓
81.02に新憲法下で再度大統領間接選挙(5000名以上からなる大統領選挙人団を国民が選出。なお統一主体国民会議代議員と異なり大統領選挙人は政党加入が認められる)を実施し全斗煥を選出、第五共和国が成立。5月に与党民主正義党発足、全斗煥総裁就任。
中央情報部を国家安全企画部に改称。
○83.09に大韓航空機撃墜事件。大韓航空機が操縦ミスによりソ連を領空侵犯し、ソ連の戦闘機に撃墜される。
○83.10にラングーン事件。ミャンマーにて北朝鮮の爆弾テロにより韓国の副首相・外交部長官など閣僚4名を含む17名、ミャンマーの閣僚・政府高官ら4名が死亡。全斗煥は乗っていた車の到着が数分遅れたため難を逃れる。
(2)第六共和国
○87.06に盧泰愚大統領候補は6.29民主化宣言を発表。
大統領直接選挙制に移行。
10月に憲法改正、12月に大統領直接選挙を実施し盧泰愚が当選。
大統領任期は5年間とし一期のみとなる。
○87.11に大韓航空機爆破事件。大韓航空機がミャンマー上空で爆発。ソウルオリンピックに反対する北朝鮮による国家テロ(ボイコットの口実作り)とされている。
○88年にソウルオリンピック開催。
○90.09に韓ソ国交樹立。
91.09に南北同時国連加盟。
92.08に中国と国交樹立。台湾と断交。
○92.05に与党民主自由党党大会。同党に合流した金泳三が総裁、大統領候補に選出される。
93.02に金泳三は大統領に就任。
93.08.04 河野談話 日本河野内閣官房長官が、旧日本軍従軍慰安婦について「本人たちの意思に反して集められた事例が多数あり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と述べ問題化。約20年後の14.06.20 裏付け調査をせずに発表された談話であったことが判明。
94.08.15 村山談話 遡及的な内容として問題化、後に安倍談話として課題に取り組み一般論化。
○93.08より金融実名制を実施。
↓
95.10に盧泰愚の秘密資金が発覚。
盧泰愚・全斗煥を政治資金規正法違反で逮捕。
○96年にOECD加盟。
96.09.18-11.07 江陵浸透事件 北朝鮮工作員潜水艦が座礁、工作員ら26名が逃亡・潜伏。珍島犬警報(北朝鮮スパイ侵攻警報)発令。韓国側は掃討に国軍・警察150万人を動員、逮捕1名、自決11名、行方不明1名、射殺13名。北朝鮮側は当初漂着と主張、武器などの押収後12月に韓国側に謝罪。
○97.11に国際流動性危機に巻き込まれ、国際通貨基金(IMF)の管理下に置かれる。
○97.12に大統領選挙。野党新政治国民会議総裁の金大中が左派系野党として初当選、98年に就任。太陽政策実施。
99 国家安全企画部の権限を縮小、国家情報院に改組。
98.10.20 日本文化開放第一弾実施。以降2004年までに順次開放。台湾同様、韓国にも多くの日本のサブカルファンが登場。
99 民族民主革命党スパイ事件 国家情報院が非合法団体民族民主革命党を摘発。反国家団体構成罪判決。
99.06.15 第1延坪海戦 北朝鮮魚雷艇3隻、哨戒艇2隻が北方限界線を侵犯、韓国哨戒艇2隻と交戦、北朝鮮側の魚雷艇・哨戒艇各1隻が沈没、他は引き上げ。
00.01.12 左派系与党新政治国民会議が新千年民主党に再編。
○00年に南北首脳会談実施。金大中、ノーベル平和賞受賞。
02.06.29 第2延坪海戦 北朝鮮哨戒艇2隻が北方限界線侵入、韓国哨戒艇4隻と交戦、韓国側1隻沈没、後北朝鮮側が引き上げ。北朝鮮側が謝罪。なお南北首脳会談などの影響もあり世論の関心は薄め。
02 「親日派のための弁明」が有害図書とされ著者金完燮が逮捕。一方日本語版は40万部のベストセラーに。
03 盧武鉉が大統領就任
与党は新千年民主党からウリ党へ
04 KTX開業
04.03.12 国会、大統領弾劾訴追 世論はこれに反発、国会総選挙でウリ党勝利 04.05.14 憲法裁判所が弾劾棄却。しかし以降はウリ党、大統領支持率とも下落。
07.10 盧武鉉、金正日と南北首脳会談
07.10 日本に帰化した保守系作家呉善花の入国を一時拒否、日本側の抗議で撤回。
08.02.25 右派系野党ハンナラ党から李明博大統領就任。
「非核・開放・3000」(北朝鮮が非核化と改革・開放を実現することにより、一人当たりの年間所得を3000米ドルにするための経済支援を行う政策)を提唱。
「韓国747」政策を提唱。毎年平均7%の経済成長、一人当たり4万ドルの国民所得、そして韓国を世界7大経済大国にするもの。実績は不透明。
09.05.23 不正資金疑惑をかけられていた盧武鉉が自害。当局は捜査を中止。
12.08 李明博、実兄の検察拘束の翌月に竹島を訪問。
12.12 右派系の朴槿恵 セヌリ党から次期大統領選当選。公約は「国民幸福10大公約」。
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北朝鮮による対南工作への韓国側の対応は90年代半ば頃までは上陸後の地上交戦が中心(兵員数名程度の侵入が年1回程度発生)。
江陵浸透事件以後は海戦が中心(複数の艦船による侵入が数年に一回程度発生)。
cf.
韓国対応
99年 第1延坪海戦 魚雷艇3哨戒艇2に対し哨戒艇2
02年 第2延坪海戦 哨戒艇2に対し哨戒艇4
09年 大青海戦 哨戒艇1に対し哨戒艇4
日本対応
99年 能登半島沖不審船事件;不審船2隻 海上保安庁巡視船艇15隻、航空機12機 +海上自衛隊海上警備行動
01年 九州南西海域工作船事件;不審船1隻 海上保安庁巡視船艇24隻、航空機14機
自己紹介6/8 東亜四カ国現代史ノート中国
【1】毛沢東時代
(1)国共内戦
○45.10に双十協定調印。蒋介石と毛沢東が戦後構想を協議。
一方以降各地で国共両党は衝突。国民党が圧倒的優勢。
○45.08~10、上党・甘戦役ー山西省の主導権を確保
45.10~46.01、遠戦役ー内蒙古の主導権を確保
45.10~46.01除州・済南戦役ー山東省の主導権を確保。
46.01 双十協定に基づき重慶にて国共は政治協商会議を開催。
↓
三月に国民党が六期二中全会で政治協商会議の協議決定を変更し、国共関係がさらに悪化。
○六月に国共内戦が勃発。
11月、国民党が国民大会を開催、中華民国憲法を制定。
47.02、日本から返還された台湾で二・二八事件が発生。
47.03に延安陥落
○47.06までに山東・峡北を国民党が掌握。
旧満洲を除きほぼ国民党優勢。旧満洲では共産党優勢。
↓
北朝鮮及び旧満洲領における旧日本軍所有武器がソ連経由で共産党側に流入。
↓
47.08に国府軍が東北作戦開始、内戦終結を意図。
↓
旧日本軍所有武器により国民党主力が壊滅的打撃を被る。以後、主力を失った国府軍は撤退を続ける。
47以降、国共を合わせた国民革命軍は、中華民国国軍と、人民解放軍とにそれぞれ改称。
47.10共産党は土地法大綱を公布。資本主義国との違いは地主への迫害が黙認された点です。
○劣勢ながらも国民党は48.03に第一次国民大会を開催。国民政府主席を総統に変更、初代総統に蒋介石が就任。
三大戦役
遼瀋戦役…48.09~48.11。瀋陽陥落
淮海戦役…48.11~49.01 徐州陥落
平津戦役…48.11~49.01 北京・天津陥落。
49.01に蒋介石が総統を辞任。李宗仁が総統代理に就任。
49.04に人民解放軍が南京占領
○49.10に中華人民共和国成立、中央人民政府委員会(主席毛沢東)、政務院(総理周恩来)設置。軍事機関は中央人民政府人民革命軍事委員会、主席は毛沢東。六行政区人民政府、党六地方局設置。党中央軍事委員会廃止。
49.11に中華民国総統代理李宗仁が香港に亡命。
49.12に国民政府が台北に遷都。
50.10 朝鮮戦争介入。中国人民志願軍結成、彭徳懐が司令員。金日成から指揮権を奪い中朝連合司令部を指揮。
(2)第一次集団化
○53.06の政治局会議で毛沢東は総路線(一般名詞、「全般的方針」の意)を提起。新民主主義の過渡期段階を否定して一気に社会主義段階に移行することを強調。
○53.12に高崗・饒漱石事件。 党東北局書記・東北人民政府主席の高崗が組織部長の饒漱石と謀って劉少奇失脚を画策。
↓
毛沢東が関知、高崗自殺。
○54.09に第一期第一回全人代開催。憲法制定。
毛沢東国家主席・国防委員会主席、朱徳国家副主席、劉少奇全人代常務委員長を選出、周恩来国務院総理を任命。大行政区廃止。国家主席諮問機関として最高国務会議設置。主に毛が国家主席の時期に主催。また同年、党では中軍委が復活、毛が就任。
※中央人民政府は国務院の別称に変更、また中央人民政府委員会の後継として最高国務会議設置。
○55.04にカシミール・プリンセス号爆破事件。アジアアフリカ会議の代表団を乗せた航空機「カシミール・プリンセス号」がブルネイ上空で爆破。周恩来は搭乗せず。国府情報機関による犯行と言われている。
○55.01には国府側、浙江省の江山島を奇襲し占領。
○56.02より簡体字を導入。
○56.04に毛沢東が政治局拡大会議で「十大関係について」の講話。「一窮二白(貧しければ革命をやろうとする)」を提唱。続けて「百花斉放・百家争鳴」を提唱。
↓
翌57.06に人民日報社説「これはどうしたことか?」発表。7月の省級書記会議(青島会議)より反右派闘争が始まる。約55万人が右派分子とされ迫害。
○56.09に党第八期全国代表大会(八全大会)。政治局に、かつて戦前にあった常務委員会が復活。中央政治局常務委員会から改称されていた中央書記処を事務機構に変更、劉少奇が政治報告、鄧小平が中央書記処総書記に選出され党規約改正報告。所謂八大路線を打ち出す。また陳雲第一副首相も政治局常務委員に就任し、同委員の兼職内容が次第に固定化。
○57.07に北京大学長の馬寅初が新人口論を提唱。
○58.01に国務院は戸口登記条例を公布。農民の都市流入を制限。
(2)第二次集団化(大躍進)~調整政策
○58.03に成都で政治局拡大会議(成都会議)。毛沢東が総路線を提起(53年の総路線と区別)。八大路線を否定。
○58.05に八全大会の第二回会議を開催。第二次五か年計画策定、大躍進開始。
58.08に北載河で政治局拡大会議。人民公社設立。総路線・大躍進・人民公社の三つをもって三面紅旗とされる。
収穫量報告の水増しが全国に拡大、食糧が倉庫にあるにもかかわらず大飢饉が発生、3000万人が餓死。
↓
59.07に政治局拡大会議(盧山会議)。かつて朝鮮戦争で事実上北朝鮮領を作った彭徳懐国防部長が毛沢東に大躍進諫めの私信、毛沢東はこれを公表し彭徳懐は失脚。後任の国防部長に林彪が就任。
○59.03にチベットで暴動。約10万人が死亡。自治区準備委員会主任のダライラマ14世がインドに亡命。
○ 59.04第二期全人代第一回会議。毛に代わって劉少奇国家主席・国防委員会主席、劉に代わって朱徳全人代常務委員長
○60.04に雑誌「紅旗」が「レーニン主義万歳」を掲載。ソ連を修正主義として批判し中ソ対立が始める。
○61.01に八期九中全会。劉少奇国家主席・鄧小平党総書記らによる調整政策開始。
北京市副市長の呉晗が「北京文芸」に「海瑞罷官」を発表。
○62.10に中国はインドに侵攻。ダライラマ亡命の報復といわれる。
○63.02の中央工作会議にて毛沢東が「前十条」を発表、調整政策への反撃を開始。一方九月の中央工作会議で劉少奇・鄧小平らがこれを補充する形で「後十条」を発表。両者の対立が進行。
○64.10に初の原爆実験。
○64.12の全国工作会議で毛沢東が鄧小平・李富春国家計画委主任らを名指しで批判し対立が表面化。さらに65.01の全国工作会議で「二十三条」を発表。
65.09 毛沢東、彭徳懐と再会。しかし翌年には紅衛兵が彭徳懐を襲撃。
(3)文化大革命
○65.11 上海の「文匯報」が姚文元の海瑞罷官批判を発表。文革の端緒となる。
66.05に政治局拡大会議。「五・一六通知」を採択し中央文化革命小組の設立を決定。林彪が「天才論」を唱え、毛沢東の神格化を開始。
○8月の八期十一中全会でプロレタリア文化大革命についての決定を採択、文革開始。2000万人が死亡したとされている。林彪が序列二位に躍進、劉少奇が八位に転落。
毛沢東は紅衛兵への接見を開始。大字報(壁新聞)が大量に貼り出される。
66 核ミサイル東風2号配備。
翌67.01に黒竜江省で初の地方革命委員会が成立。2月には上海コミューン成立。以降中央文革小組と地方の革命委員会とが実権を掌握。
67.01 劉少奇辞表提出、毛はこれを説得。 4月に造反派により監禁。毛は生活水準維持を命じるも放置。
○67.06にウイグル・ロプノールで水爆実験。被爆者が発生?
○67.08に武漢事件。実権派の陳再道武漢軍区司令員を支持する「百万雄師」が造反派と対立。林彪が指揮する東海艦隊が武漢を包囲。周恩来が調停。
○68.05に毛沢東が林彪に五七幹校設立を指示。下放が本格化。
68.10 八期拡大一二中全会。劉少奇国家主席解任。翌年監禁状態のまま病死。鄧小平総書記も解任。
69.03.02 珍宝島事件。ソ連軍と衝突。
○69.04 九期一全大会、林彪を党副主席(1ポストのみ)に選出。中央書記処廃止。
69 中央文化革命小組廃止。
○70.03にの党中央工作会議で国家主席職の凍結が決定。林彪はこれに不満を抱く。
70.08の九期二中全会で林彪派が「会議は林彪の演説に学ぶべき」と提起。林彪の毛に対する攻撃が始まる。
71.09に五七一クーデター。林彪が毛沢東を暗殺しようとして失敗、亡命に使用した航空機が燃料不足で墜落し林彪は死亡。
○71.10に国連加盟。
72.02にニクソン米大統領が訪中。また72.09に日中国交正常化。
○73.08に十全大会。自身の高齢に伴い周恩来の意向で鄧小平が中央委員に復活。一方政治局に党副主席の王洪文、毛沢東夫人の江青ら四人組が出現。
75.01に鄧小平が党副主席、第一副首相に就任。
また国家主席ポストを正式に廃止。国防委員会廃止。最高国務会議廃止。
○76.01に周恩来が死去。天安門広場で民衆が周恩来追悼を始める。華国鋒らがこれを批判、花輪を撤去。
↓
暴動が発生。鄧小平は責任を問われ再度失脚。華国鋒が党第一副主席・首相に就任。
【2】経済体制改革・対外開放
(1)経済体制改革・対外開放
○同年7月に朱徳、9月に毛沢東が死去。
↓
華国鋒が党主席、中軍委主席に就任。四人組が失脚、逮捕。
○77.08に十一期一中全会。鄧小平が再度党副主席に復活。
78.06全軍工作会議で鄧小平が「実事求是」を提唱。文化大革命、反右派闘争、土地改革などの名誉回復・復活開始、該当者は290万に上る。
78.10 鄧小平訪日、翌79.01には訪米。米中国交正常化。
○79.01に国務院の全国出産弁公室主任会議が一人っ子政策を決定。
○79.02にベトナム侵攻。一か月後に撤退。
○79.06に地方革命委廃止。
○80.02に党中央書記処復活。胡耀邦が中央書記処総書記に就任。
○80.08第五期全人代十五回会議。広東省深圳、福建省廈門などに経済特区設置。
また、趙紫陽が首相に就任。
○9月に政治局が「農業生産責任制の改善強化に関する通知」を発表、生産責任制へ移行。万元戸が出現。
○81.06十一期六中全会に於いて歴史決議(建国以来の党の若干の歴史的問題についての決議)を採択、文革を否定。
華国鋒党中央委員会主席、中軍委主席辞任(02まで中央委員職は在籍)。胡耀邦が党主席、鄧小平が中軍委主席に就任。
82.05 全人代常務委員会、副首相増加に対処するため副首相と部長の間に無任所の国務委員を設置。
○82.09 十二全大会。「中国の特色をもつ社会主義」を提唱。「小康水平」(一人あたりGDPを20世紀末までに800ドルから1000ドルに)を目標とする。また党中央委員会主席を廃止。 総書記を中央書記処から中央委員会直属とし党代表へ。代わって中央書記処の代表は常務書記に改称。
※ なお経済成長率ですが、地方政府発表分を合計すると中央発表分を上回ることが恒常化しており、大躍進期同様大幅な水増しが指摘されています。
○82.11に第五全人代第五回会議。人民公社を廃止。
82 鄧小平と共に復権していた陳雲が、「市場経済は計画経済の範囲内で」とする鳥籠理論を発表。以降鄧小平の怒りを買わない範囲で保守派の長老格に。
○83.01に鄧小平が先富論を提唱。
83.06 党中軍委と別に国家中軍委を設置(構成員は完全一致)。国家主席ポスト再設置、当初は名誉職扱い、李先念が就任。また7月には国務院に国家安全部を設置。
○84.10 十二期三中全会。「経済体制改革についての決定」採択。「改革・開放(対外開放と経済体制改革)」路線が確定。
○85.05に中央軍事委拡大会議、解放軍兵員100万人の削減を決定。
○87.01に、民主化に寛容だった胡耀邦総書記が辞任、趙紫陽が後を継ぐ。また保守派への配慮もあり、首相の後任は保守系の李鵬が就任。
○88.03に第七期全人代第一回会議。楊尚昆が国家主席。
○89.04に胡耀邦前総書記が死去。
↓
天安門事件。
5月に戒厳令布告、6月に解放軍出動。 中国共産党発表死傷者319名、ソ連共産党政治局報告3000名、他数万名説も。
【3】江沢民政権
(1)江沢民政権
○6月の十三期四中全会で趙紫陽総書記が辞任。江沢民が就任。
○90.02に鄧小平が上海浦東を視察、浦東開発が本格化。
○90.03 第七期全人代第三回会議。鄧小平が国家中央軍事委主席を辞任、江沢民が就任、93以降併せて国家主席も兼任し、党軍政各ポストは再び集約化。
92年1~2月に鄧小平が南方を視察、南巡講話を発表。94年に鄧小平は完全引退。
○95年6月に台湾の李登輝総統が訪米。翌月から中国側が台湾北方の海上でミサイル演習を開始。96年の台湾総統選時期まで継続。
95 陳希同北京市党委書記が汚職で逮捕。以後、党首脳が新規発足時に敵対勢力の脇をつく手法が確立。
○97.02に鄧小平死去。
○97.06に香港返還。一国二制度を導入。
○98.03に第九期全人代第一回会議、朱鎔基が首相に就任。国有企業改革・金融改革・政府機構改革を三大改革と位置づけ推進。
98.08 人民解放軍に総装備部設置。三総部から四総部へ。
96~99 遠華密輸事件 貿易会社遠華電子有限公司が800億元を脱税。公安部副部長を筆頭に156名が逮捕、死刑含め有罪。江沢民による軍部掌握の一環との指摘も。
99.07.20 法輪功弾圧開始 逮捕者数万名。
00 江沢民、3つの代表論提唱。
01.11 WTO加盟
02 伝染病SARS発生。
03.03 第10期全人代第一回会議 鄧小平が予め選出していた胡錦濤が総書記、国家主席、温家宝が首相に就任。鄧小平の「先富論」を「和諧社会」に発展。但し党中央政治局常務委員会は2人を除き江沢民派上海閥。江沢民は中軍委主席に残留。
※ 環境問題;「四害」 (大気汚染、水汚染、騒音、固体廃棄物汚染)、「三廃」 (排ガス、廃水、固体廃棄物)
04 胡錦濤、中軍委主席にも就任。
04.10 四川省漢源で建国以来最大と言われる暴動 鎮圧に武装警察のみならず人民解放軍が出動、参加者約10~15万名
05 農業税廃止
06 カナダの元閣僚らのチームの調査により、01~05にかけて実施された臓器移植約四万件の臓器の出所が不明と判明。中国側は臓器狩りを否定、2010年代以降米下院外交委員会、EU議会などが非難決議。
06以降 暴動発生件数公開中止
※ 暴動の発生件数ですが、06年ころの報道では年間約9万件(1日に約240件)、11.06BBC報道で年18万件、13.10日本識者指摘で年30万件(1日800件) 05.10共産党内部資料、当月全国705件、参加者合計200万名(1件当たり約2800名)
※ 暴動の原因については、強制土地収用、賃金未払い、幹部による弱者暴行、環境汚染など様々です。03年の中央への直訴件数は約1000万件、うち解決比率は0.2%といわれています。
06.03 「8つの名誉と8つの恥」からなる「社会主義栄辱観」を発表。
06.09 上海市党委書記の陳良宇が汚職で逮捕。
07 最低生活保障制度導入 この頃から日本の対中ODAが終結。
08.03 第11期全人代第一回会議。共青団出身の李克強ではなく上海閥の習近平が国家副主席に就任。
同月チベット暴動。死者約80名とも。
08 四川大地震
08 北京オリンピック
08 高速鉄道網整備計画(四縦四横)採択
08.12.09 人権活動家劉暁波らによって、民主化を求める『零八憲章』が発表。
これの影響もあってか、二〇一〇年、劉はノーベル平和賞を受賞します。
12.11 習近平、党総書記、党中央軍事委員会主席就任。 13.03 国家主席、国家中央軍事委員会主席就任。また李克強が首相に就任。
自己紹介7/8 東亜四カ国現代史ノート北朝鮮1
45.10.10 半島北部ソ連進駐(後の停戦ラインとは別)に伴い朝鮮共産党北朝鮮分局成立。
45.12.17-18 朝鮮共産党北朝鮮分局第三次拡大会議、金日成(満洲派)を責任秘書に選出。
46.02.08 北朝鮮臨時人民委員会成立、ソ連、1940年から暴力活動が困難となり、満洲からソ連に亡命していたパルチザン(共産主義テロリスト)の金日成を委員長に任命。
※ 北朝鮮の各パルチザンテロ組織のグループ
・ 満洲派
・ 甲山派(朝鮮北部甲山が拠点。1937、満洲派とともに普天堡事件をおこす(現両江道の人口1383名、うち9割朝鮮人の小村で郵便局強盗などの狼藉、警察官7名が殉職。北朝鮮は当時25歳の金日成が首謀者と宣伝)
・ 南労派(朝鮮南部)
・ 延安派(満洲。中国共産党八路軍所属)
・ ソ連派(ソ連国籍保有、ソ連から帰国)
46.08.30 朝鮮共産党北朝鮮分局、北朝鮮労働党に改称、第1次大会。
翌31日中央委員会全員会議。金枓奉(延安派)が中央委員長、金日成、許哥誼(ソ連派)が副委員長。政治委員5名、常務委員13名を選出。
47.02 立法機関「北朝鮮人民会議」設置、行政機関は「北朝鮮人民委員会」に改称。
48.09.09 朝鮮民主主義人民共和国建国。
49.06.30 北朝鮮労働党と南朝鮮労働党が合併、朝鮮労働党発足。翌日金日成を委員長、朴憲永(南労派)、許哥誼を副委員長に選出。
50.01 アメリカ、アチソンライン発表。朝鮮、台湾を防衛ラインから除外。
50.01 日本にて非合法団体祖国防衛隊 (在日朝鮮人団体)組織。非合法路線採択中の日本共産党と連携。52年の破壊活動防止法施行頃まで、大規模な被害には至らないものの交番襲撃などの不法行為が相次ぐ。
50.06.25 朝鮮戦争勃発。北朝鮮、韓国に侵攻。釜山手前まで進軍。
50.06.27 国連安保理決議82国連採択。ソ連棄権、中国は当時台湾のため国連軍名義。
50.08.17 303高地の虐殺 米軍捕虜41名虐殺。
50.09.15 国連軍仁川上陸。鴨緑江手前まで進軍。
50.10.05 中国共産党中央政治局、介入を決定。彭徳懐を総司令員とする人民志願軍を結成。彭は金日成から指揮権を奪う。
50.10頃? 信川虐殺事件 黄海南道信川郡で住民約35000人が虐殺。加害者不明。
51.01 日本にて合法団体として在日朝鮮統一民主戦線設立。
53.03 朝鮮戦争の停戦濃厚をきっかけにそれを口実に朴憲永副委員長ら南労派一斉逮捕。順次粛清。
53.07.27 朝鮮戦争停戦。直前の07.02に許哥誼副委員長自害。
53.08.05-09、中央委員会全員会議。常務委員14名、政治委員5名を選出。
55.05 同年日本共産党が非合法路線を放棄。日本にて在日朝鮮統一民主戦線・祖国防衛隊解消、在日本朝鮮人総聯合会設立。
56.02 ソ連共産党第20回党大会、フルシチョフ、スターリン批判。
56.04.23 党第3次大会。04.29の中央委員会全員会議にて中央常務委員11名を選出。政治委員はなし。
56.06 金日成、ソ連&東欧共産諸国訪問。この間に八月宗派事件の画策?
56.08.30-31 八月宗派事件。崔昌益党中央常務委員兼副首相(延安派)、朴昌玉副首相(ソ連派)、朴義琓副首相兼国家建設委員長(ソ連派)などが同日の党中央委員会全員会議にて金日成の個人崇拝などを公然と批判し即日党籍はく奪。
56.09.23 中央委員会全員会議。ソ連第一副首相アナスタス・ミコヤン、中国国防部長彭徳懐が訪朝。先月の中央委員会全員会議での除名処分撤回。しかし1~2年で結局処刑。ソ連派、延安派が大量粛清され壊滅。
56.12.11-13 中央委員会全員会議。金日成、千里馬運動を提唱。57年から国民経済発展第一次五カ年計画。
56.12.15 ソ連、中国の要請などにより粛清が留保されていた朴憲永に死刑判決、即日処刑。
57.09.20 金枓奉最高人民会議常任委員長(延安派)解任、年内に処刑と推定。
59.12.16 帰国事業第一団帰国。
58~60 中央党集中事業
出身成分規定。忠誠度に基づき「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」の3種類に分類。動揺階層を監視対象、敵対階層を特別監視対象へ。分類に伴う居住地指定に伴い約7万名強制移住、約6千名処刑。住所・職業などにも制限が生じ、社会主義に馴染まないため、国の基本となる制度でありながら表面上はその存在は否定。
61.09.11 党第4次大会。09.18の中央委員会全員会議で中央政治委員11名を選出(今度は中央常務委員なし)。規約上は5年に1回とあるものの今大会より概ね10年に1回ペースに。
65頃より主体思想の用語登場。
66.10.05-10 党代表者会(中央委員会全員会議に準じる不定期の会議)。中央委員会委員長を中央委員会総秘書に改称。政治委員会内部に常務委員会設置。秘書局設置。12日、中央委員会政治委員会常務委員会委員に6名選出。中央委員会総秘書に金日成選出。
67.05.04-08 中央委員会全員会議。主体思想が「唯一思想体系」として確立。政治委員会常務委員朴金喆、李孝淳ら甲山派を攻撃。
67.06.28-07.03 中央委員会全員会議(直前の67.05に第四期十五中全会。この回は第四期の16回目に当たるものの番号の呼称は特になし)。このとき金日成の意向を受けたと思われる呉振宇人民軍総政治局長が朴金喆を批判、朴金喆は自殺を図り一命を取り留めるも翌年処刑。李孝淳ら甲山派も順次行方不明となり壊滅。満洲派のみが残る。
68.01.21 青瓦台襲撃事件 人民軍の対南工作部門所属の兵士31名が韓国侵入、青瓦台800m手前で銃撃。ベトナム戦争での北ベトナム優勢なども影響?
68.01.23 プエブロ号事件。米艦プエブロ号を拿捕。米艦プエブロ号を拿捕。米側は青瓦台襲撃事件への対応も含め海軍空母機約200機を展開、米ソ交渉の結果乗員らは12月に解放。
68.11 韓国で李承福事件 北朝鮮の武装工作員部隊123名が江原道から船舶で韓国領に侵入し民家に侵入。子どもの反共発言がきっかけで民家惨殺。国軍・警察が逮捕、射殺。
69.03 最後に残った満洲派のうち強硬派の金昌鳳民族保衛相(68.12解任。後の人民武力部)、崔光人民軍総参謀長などを粛清(但し崔光は後に復権、国防委員会副委員長、人民武力部長などに就任)。呉振宇が人民軍総参謀長に就任。
金正日、党組織指導部第一副部長へ。以降党組織指導部が重要視される。もともと権限の強い部門だったという説のほか、金正日の出身部署なので権限が強くなったという説も。
69.04.15 米海軍EC-121機撃墜事件 米海軍早期警戒機が北朝鮮機により撃墜。
70 出身成分を「3大階層51個分類」へ細分化。
核心階層は主に平壌他都市部居住(約3割)。以下動揺階層約5割、敵対階層約2割。順次居住、教育、職業制限などあり。帰国事業により帰還した在日朝鮮人は動揺階層の一番下、敵対階層入りをぎりぎり回避。一方少なくとも75年頃5000名ほどの在日が15号耀徳管理所へ。
70.03.31 よど号ハイジャック事件 日本の過激派組織共産主義者同盟赤軍派9名が日本航空機をハイジャックし北朝鮮亡命を要求。いったん平壌と偽りソウルに着陸、韓国軍が朝鮮人民軍に偽装するもバレ、北朝鮮に亡命。運航乗務員、人質身代わりの運輸政務次官は北朝鮮まで同行後に帰国。
70.11.02 党第5次大会。政治委員11名、秘書9名選出。呉振宇は序列第7位。
72.07.04 南北共同声明発表 韓国国会総選挙での与党3分の2割れを端緒に、72.05に李厚洛韓国中央情報部長が金日成首相と極秘会談、同月末には朴成哲第二副首相が韓国朴正煕大統領と極秘会談。声明発表直後から南北ともに権力強化へ。
72.12.27 南北共同声明を受け改憲。以降「朝鮮民主主義人民共和国憲法」から「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」に改称。
(国家)主席設置、金日成就任。
内閣・首相・各相は政務院・総理・各部長に改称。
国家主席が委員長を務めその諮問を受け、また内閣、最高人民会議を監督するともされる中央人民委員会が設置(中国毛沢東期における最高国務会議と似た位置づけなものの、金日成政権下では大きく権勢をふるう)。
中央人民委員会直属で国防委員会設置。
最高人民会議常任委員会を常設会議に改称、議長に黄長燁が就任するも党政治委員会からは除外。最高人民会議の権限が実質縮小。
※ 一方中国では文革により劉少奇国家主席、鄧小平中央書記処(×中央委員会)総書記らが失脚し、国家主席ポスト、中央書記処は廃止されています。
73頃 金正日が提唱、三大革命赤旗獲得運動(思想・文化・技術の3つ。三大革命小組運動とも)。農場、工場などに学生、若年党員を派遣し業務を監視。徐々に役割を縮小し90年ころには終焉。
73 金正日、党組織指導部部長へ。
73 社会安全部から国家政治保衛部が分離独立。82に国家保衛部、93に国家安全保衛部に改称。
73.12 二児拉致事件 朝鮮総連第一副議長の貿易会社にて日本人女性を殺害、6歳と3歳のその子どもを拉致 07年に日本政府が拉致被害者として追加公認し容疑者を国際指名手配。現在も北朝鮮から回答なし。
74.02.11-13 中央委員会全員会議。金正日が政治委員・秘書に選出。
74.04.14 十大原則発表、金日成の神格化が進行。
74.11 韓国が最初の南侵トンネル発見。以後89年までに4本。韓国側は現在もボーリング探査を実施。
76.05.14 呉振宇、人民武力部部長へ。
76.06 金東奎国家副主席らが金正日後継体制を批判、77.10に粛清。党員約30万名党籍はく奪。
76.08.18 ポプラ事件
板門店にて伸びすぎた北朝鮮領内のポプラの剪定を国連側が要求し北朝鮮が拒否。強制剪定を実施し交戦、米兵員2名が戦死。3日後国連軍側が大挙しポプラを強制伐採、金日成が謝罪。
77~83頃 日本政府認定拉致事件12件が相次いで発生。
自己紹介8/8 東亜四カ国現代史ノート北朝鮮2
80.10.10-14 党第6次大会 高麗民主連邦共和国提唱 10・26発生以後光州事件などが発生していた韓国への揺さぶり。
80.10.14 中央委員会全員会議。以降中央委員会政治委員会は政治局へ改称。政治局常務委員5名選出。序列第3位に呉振宇人民武力部部長、序列第4位に金正日党中央委員会組織指導部部長。84年以降3名。一方黄長燁最高人民会議常設会議議長が引き続き省かれ、83年からは李鐘玉政務院総理も政治局常務委員から政治局委員に降格、国家権力とのズレが顕著に。
83.10.09 ラングーン事件。ミャンマーにて北朝鮮の爆弾テロにより韓国の副首相・外交部長官など閣僚4名を含む17名、ミャンマーの閣僚・政府高官ら4名が死亡。全斗煥大統領は乗っていた車の到着が数分遅れたため難を逃れる。
85.12 NPT(核拡散防止条約)加盟。18か月以内にIAEA加盟との同条約規定を履行せず。
86 金正日、「社会的政治的生命体」論を提唱。首領を不滅の社会・政治的生命の頭脳と位置づけ。
87.11.29 大韓航空機爆破事件 大韓航空機がミャンマー上空で爆発。ソウルオリンピックに反対する北朝鮮による国家テロ(ボイコットの口実作り)とされている。
88.03.26 日本、日本共産党議員への答弁の中で国家公安委員長が拉致問題の北朝鮮関与の疑いを指摘、以後当面は目立って浮上せず。
88.09.17-10.02 ソウルオリンピック 中ソ参加、北朝鮮ボイコット、開催自体を報道せず。
89.07 韓国学園浸透スパイ団事件の釈放嘆願署名が日本の土井たか子社会党委員長、後の民主党首相菅直人ら国会議員により韓国政府に提出。この釈放嘆願対象に拉致事件実行犯が含まれていたことから北朝鮮による拉致事件公認後問題化。
90.09.24 元副首相金丸信を団長とする金丸訪朝団訪朝。
87~90年頃 完全統制区域16号管理所(咸鏡北道化城郡。高官、知識人とその家族なども収容しとくに処遇が酷いことで知られる)の政治犯ら約1万名が順次行方不明。付近に核実験施設である豊渓里があり、順次、動員、建設に従事させては全員殺害?
90.05.24 最高人民会議 国防委員会が中央人民委員会から独立。
90.09.30 韓国・ソ連国交樹立
91.09 国連南北同時加盟
91.12.24 金正日、朝鮮人民軍最高司令官(統合参謀議長などに相当)に推戴
91.12.31 朝鮮半島非核化共同宣言調印
92 クーデター陰謀事件 80年代後半頃からソ連に留学し、密輸、またソ連国家保安委員会の美人局にひっかかった人民軍将校ら数百名が粛清。
92.04 IAEA(国際原子力機関)署名。
92.08.24 中韓国交樹立。
93.03 IAEA、未申告施設の査察を要求。北朝鮮、NPT脱退を表明も6月米朝交渉により復帰。
93.04.09 金正日、金日成に代わって国防委員会委員長に就任。呉振宇、同第一副委員長に就任。
93.05.29 ノドン1号発射実験 この頃から瀬戸際外交へ。硬軟織り交ぜにより援助を引き出す方針。
93.11 国連総会、北朝鮮にIAEAによる査察受け入れ勧告決議。
93.12.08 中央委員会全員会議開催。以降2010まで、規約上は年に1回以上、実質上は年に0~数回程度開催されていた中央委員会全員会議が中断。
94.03 IAEA、北朝鮮から申告分の施設のみの査察を実施、5~6月、査察不十分と報告、また国連安保理が査察再度勧告、これを受けIAEAから脱退、同月カーター米元大統領訪朝。
94.07.08 金日成死去。
「3年間の喪服」開始。この間に金正日への権力集中、軍の統制が進行。
94.10.21 米朝枠組み合意。IAEA脱退を撤回。核拡散のおそれの低い軽水炉2基を、約40億ドルをかけて、韓国7割、日本3割の負担で建設、完成までは年間50万トンの重油供与等の内容で合意も、北朝鮮が翌月には軽水炉供与に反発。
95.02.25 呉振宇人民武力部部長、党中央委員会政治局常務委員死去。政治局常務委員が金正日一名となり機能マヒ。以降NSCに相当する国防委員会(党中央軍事委員会でもない)が権力中枢へ。
95頃 人民軍第6軍団で数百名の将校を一斉粛清。クーデター未遂説、党中央側によるスケープゴート説など。
95.03 日米韓、米朝枠組み合意実施のため朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)設立。12月、北朝鮮、軽水炉建設合意。
95~00 日本、北朝鮮への食糧支援を毎年実施。特に95年、00年にそれぞれ約1000億、米穀約50万トン。また米国・韓国なども食糧支援開始。一方北朝鮮がWFP(世界食糧計画)に提出している受取先機関リストに不備が指摘されており最終届き先は不透明。
96.02.07 労働新聞、「苦難の行軍」論を提唱。
この頃から水害、食糧難などの報道が目立ち始める。
ソ連などからの援助中断などと合わせて論じられることも多いものの、そもそも北朝鮮の統計自体が不正確であり、食糧難は建国以来一貫して続いており、韓ソ・中韓などの関係改善に焦った北朝鮮側による一部情報公開の実施との指摘も。
96.09.18-11.07 江陵浸透事件 北朝鮮工作員潜水艦が座礁、工作員ら26名が韓国領内に逃亡・潜伏。韓国政府が珍島犬警報(北朝鮮スパイ侵攻警報)発令。韓国側は掃討に国軍・警察150万人を動員、逮捕1名、自決11名、行方不明1名、射殺13名。北朝鮮側は当初漂着と主張、武器などの押収後12月に韓国側に謝罪。
※ 北朝鮮による対南工作への韓国側の対応は90年代半ば頃までは上陸後の地上交戦が中心(兵員数名程度の侵入が年1回程度発生)、一方これ以後は海戦が中心(複数の艦船による侵入が数年に一回程度発生)。
97.02 北朝鮮の亡命工作員が日本人拉致を証言、日本で拉致被害者家族連絡会設立。05、日本政府、拉致問題の北朝鮮関与濃厚を公式見解へ。一方07、日本・社民党が機関誌にて拉致問題をねつ造と主張。
97 黄長樺党秘書・元最高人民会議常設会議議長韓国亡命 親族、関係者ら約3000名管理所送り。
97.10.08 金正日、党中央委員会総秘書に推戴。
98.08 黄海製鉄所暴動事件 製鉄所の労働者ら数千名が暴動、人民軍が鎮圧。※ 同様の事例は頻出の可能性も。
98.08.31 テポドン1号発射実験 日本上空(大気圏外)通過。
98.09.05 憲法修正
金日成を永遠の国家主席とし国家主席廃止。
中央人民委員会廃止。
政務院・総理・部長は内閣・総理・省相に改称。但し国家安全保衛部、人民武力部、(2010からは人民保安部も)は国防委員会直属とし部のまま(人民武力部は当初は省。00に部へ)。第一副委員長は総政治局長の趙明禄。以降、呉振宇が総参謀長を務めた総参謀部から、総政治局が人民軍中枢へ。
最高人民会議常設会議を常任委員会に戻す。委員長は金永南。
98.09.09 労働新聞、「強盛大国」宣言。
99.03.23 能登半島沖不審船事件 日本領海内にて不審船2隻。日本海上保安庁巡視船艇15隻、航空機12機が出動、また海上自衛隊に初の海上警備行動命令、2隻は逃走し清津港に入港。
99.06.15 第1延坪海戦 北朝鮮魚雷艇3隻、哨戒艇2隻が北方限界線を侵犯、韓国哨戒艇2隻と交戦、北朝鮮側の魚雷艇・哨戒艇各1隻が沈没、他は引き上げ。
99.06.16 労働新聞、「先軍政治」を発表。党、国家、軍のうち軍の優位性が論じられる。党の腐敗などを指摘する説もあるが、権力安定の観点から、そもそももっとも優先度の高い軍以外を管轄する余裕がなかったという見方も。
00 朝鮮学校校長が島根県に覚せい剤250kg密輸、国際指名手配。
00 社会安全省を人民保安省に改称。
00.06.13 金正日、金大中韓国大統領と南北首脳会談。
00.10.23 米オルブライト国務長官訪朝。
97~00 深化組事件。社会安全部(現人民保安部。一般警察)に「深化組」を秘密裏に組織、張成沢組織指導部第一副部長が中心になり苦難の行軍のスケープゴートとして農業担当秘書ら約2万5千名を粛清。
01.05 金正男、日本に不法入国。事実上の政治判断により入管審査中断となり国外退去処分。
01.11.02 釜山港にて覚せい剤91kg摘発。
01.12.22 九州南西海域工作船事件 北朝鮮工作船1隻。漁業法違反容疑で日本・海上保安庁巡視船艇24隻、航空機14機が出動、銃撃の後自爆し沈没。
02 韓国到達脱北者年間1000名突破。なお中国東北部潜伏は30~40万名と推定。
02.04 KEDO、軽水炉建設に着手。
02.05.08 瀋陽日本国総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件 亡命は成功。駆け込み亡命に際し、中国武装警察が総領事館に無許可侵入、また駐中国大使側も亡命者を追い返すよう指示していたことなどが発覚。
02.06.29 第2延坪海戦 北朝鮮哨戒艇2隻が北方限界線侵入、韓国哨戒艇4隻と交戦、韓国側哨戒艇1隻が沈没、後北朝鮮側が引き上げ。北朝鮮側が謝罪。韓国では戦死者が出たものの南北首脳会談の影響などもあり世論の関心は低め。これ以降は海戦からミサイル発射にシフト。
02.09.17 日本小泉純一郎首相訪朝、日朝平壌宣言。金正日、拉致を認め謝罪。日本政府認定拉致被害者当時17名。北朝鮮側は5名生存、8名死亡、4名入境なしと主張。
02.10 ウラン濃縮が米国により発覚。12、北朝鮮、IAEA再度脱退。
02.10.15 拉致被害者のうち北朝鮮が生存を主張する5名が一時帰国。帰国後、官房副長官安倍晋三、官房参与中山恭子らの提議を受け、日本政府は北朝鮮への送還を拒否。
03.01.10 NPT脱退
一方同日、日本にて特定失踪者問題調査会設立。北朝鮮による拉致の可能性が高い失踪者を「1000番台リスト」へ。同会によれば100~200名。
03.12 KEDO軽水炉建設中止。
04.04.22 龍川駅爆発事故。金正日暗殺テロとの説があり(韓国は否定、中国は断定)。
04.05.22 日本小泉首相訪朝、帰国した拉致被害者の親族も帰国。北朝鮮側、事実上の人質扱いとして米穀約25万トン(約500億円分)を要求、日本側は当初拒否するも結局供与。
04 日本、特定船舶入港禁止法公布、外為法改正(北朝鮮経済制裁二法)。
04.11 日朝実務者協議。拉致被害者のうち死亡と主張していた8名の死亡診断書をねつ造と認める。
北朝鮮が拉致被害者松木薫さんの遺骨と主張するものが回収されるも別人と判明。
04.12.24 外務省局長訪朝、北朝鮮が拉致被害者横田めぐみさんの遺骨と主張するものを回収。別人とは判明できないものの、本人と確認できないDNAを検出。なお不自然な経緯により燃やされておりDNAの殆どがなく、同鑑定の実施により同遺骨は消失。これ以降北朝鮮が死亡と主張する拉致被害者の遺骨返還はなされず。
05.02.10 核保有宣言
05.09.19 六か国協議共同声明発表 北朝鮮当事者を含め、北朝鮮の核兵器の放棄に合意。
05 日本 自衛隊法改正 ミサイル破壊措置命令規定。
05 米国 食糧支援中断
05.11 KEDO解体
05.12.16 国連総会、北朝鮮非難決議 英国が作成主導、日米欧など45カ国による共同提出。中露反対、韓国棄権。
06 韓国到達脱北者数年間2000名突破
06.07.05 テポドン2号他計7発発射実験 以降日本、特定船舶入港禁止措置発動。
06.07.15 国際連合安全保障理事会決議1695 北朝鮮のミサイル発射に対する国連非難決議 日本が作成主導、当初は国連憲章41条に基づく国連による経済制裁案が浮上するも削除。
06.09.19 日本、金融制裁を閣議決定、即日発効。
06.10.09 地下核実験 これ以降瀬戸際外交の軟面がとりわけ縮小。
06.10.14 国際連合安全保障理事会決議1718 北朝鮮核実験実施に対する国連制裁決議。日本が作成主導、国連憲章41条経済制裁実施。
07~09 拉致加害者の親族が三鷹市議選に立候補、後に日本首相となる民主党の菅がこの候補の所属政治団体に献金し問題化。
07.10.02 金正日、盧武鉉韓国大統領と首脳会談。
08 韓国李明博政権発足。「非核・開放・3000」政策を提唱するも北朝鮮は無視。06年を除き実施されていた食糧支援を極めて小規模に縮小。
08.06.11-12 日朝公式協議 拉致問題、解決済みとの見解を転換し再調査を表明 但しその後の報告はなし。
08.06 米国、食糧支援再開 09.03に北朝鮮側が拒否して以降中止。
08.08 金正日、脳卒中で一時倒れる。後継者問題が浮上。
08.10 米国、テロ支援国家指定解除
08.11 日本で拉致知事会発足。小沢一郎民主党代表の「小沢チルドレン」として知られる岩手県知事のみ当初不参加を表明。
08.10-12 北朝鮮ぜいたく品不正輸出事件 翌年、国連経済制裁違反で日本国内で初の逮捕。被疑者は在日韓国人。
10.04 人民保安省、部に昇格。内閣から分離し国防委員会直属へ。
10.09 党代表者会開催。金正恩が登場、中央軍事委員会第一副委員長に就任。
政治局常務委員会が複数選出され機能復活。金正日の他、金永南最高人民会議常任委員長、崔永林内閣総理、趙明禄人民軍総政治局長らが就任。但し趙明禄は翌月死去。
また同代表者会が中央委員を選出。93年の第二一中全会のあと、金日成死去以降、開催中止となっていた中央委員会全員会議が開催。但し党規約上中央委員は党大会から選出されることとなっているため、一般的にこの中央委員会全員会議は第二二次にはカウントされない。
10.11 韓国延坪島砲撃。金正恩の成果にされます。
11.12 金正日死去。同月、金正恩が人民軍最高司令官に就任。
12.04 金正恩、党代表者会により党中央委員会第一秘書(金正日を「永遠の総秘書」とし、総秘書より改称)・中央軍事委員会委員長に選出、最高人民会議より国防委員会第一委員長(委員長より改称)に就任。
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※ 北朝鮮の収容所
○ 集結所 … 拘置所
○ 労働教養所 … 6か月以内刑事犯(中国から送還された脱北者もここが多い)
○ 教化所 … 6か月以上刑事犯
○ 管理所(対外的には存在自体を否定) … 政治犯
・ 革命化区域 … 刑期あり(但し不定も多い)
・ 完全統制区域 … 終身刑
・ とくに裁判なし
・ 一般民衆の場合基準は「一言指導者の不満を言った」程度から
・ 概ね血縁者など連座制
・ 適当に暴行、適当に殺害し氏名も確認せず適当に埋葬
cf.70年初頭に咸鏡北道蒼坪12号管理所で暴動、収容者5千名全員処刑etc.
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※ 他の国の言論弾圧の度合い
・ 現代中国の弁護士ら … 国家転覆罪など 懲役3~5年程度
・ 韓国第4共和国大統領緊急措置9号(改憲議論禁止)違反 … 金大中は懲役2年程度
・ 台湾美麗島事件など … 施明徳は7年で特赦。これを拒否、事件から10年後、李登輝政権による美麗島事件判決無効措置を受け出獄
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※ 最近の人民軍総参謀長の変遷
・ 09.02.11 - 12.07.15 李英浩
2010 党中央委員会政治局常務委員会委員、党中央軍事委員会副委員長
12.07.15政治局会議にて解任、失脚、軟禁
・ 12.07.18-13.05 玄永哲
12.07.26 党中央軍事委員会副委員長
13.03.31 党中央委員会全員会議、党政治局委員候補
13.05 総参謀長解任
14.06.25 人民武力部部長
15.05.13 処刑
・ 13.05-13.08 金格植
12.10 人民武力部部長
13.03.31 党中央委員会全員会議 政治局委員候補、国防委員会委員
13.05 人民武力部部長解任、人民軍総参謀長
13.08 総参謀長解任
15.10 死去
・ 13.08.25-16.02 李永吉
13.08.25 総参謀長
14.04.27 党中央軍事委員会委員
15.05 党政治局委員候補
16.02 処刑(wikiより)
16.05 党大会にて党政治局委員候補、中央軍事委員復帰が確認
・ 16.02.21- 李明秀
2011 人民保安部部長
2013.04.13 国防委員会委員
13.02 人民保安部部長解任
13.04.01 最高人民会議、国防委員解任
09年以降5名が就任していますが、うち1人が死去した以外、1人が軟禁、2人が処刑され不遇ポスト状態となっています。
16.05.10追記
北朝鮮「処刑された軍高官」が再登場した!
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kohyoungki/20160510-00057532/
李明秀氏は16.02.21に総参謀長に復帰、18.05に引退、また18.07に李栄吉氏も総参謀長に復帰し、不遇ポスト状態は緩和された模様です。
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※ 09年情報機関再編
党統一戦線部(原則として共産国における対共産国交流部門。朝鮮総連傘下);存続
党対外連絡部(原則として共産国における対非共産国交流部門);政府の内閣対外交流局へ → 13年党統一戦線部に吸収合併
党対外情報調査部(非合法部門担当。韓国以外);人民軍総参謀部偵察局と統合、人民軍偵察総局へ
党作戦部(非合法部門担当。対南工作、日本人拉致など);人民軍総参謀部偵察局と統合、人民軍偵察総局へ
🔮運勢占い
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