もっと自己紹介
当時は、スウィートランドSakura ver.ならびに、クレナフレックスの開発中、ドラゴンクロニクルの次、リライタブルカードシステム第二弾としては鳴り物入りのスタートでした。ときめきメモリアルを超え、小島監督のポリスノーツ以上に胸揺れを再現し、ハロプロのモーニング娘を超えなければならないという命題を背負って、プロジェクトi M@s(これはさらに後に決まるコードネーム)は仮称のままスタート。私は、外部からの出向の様な形でのお手伝い、一、現場オペレーターからのお手伝いでした。最初未来研に行った時には、そりゃアウェーな感じでしたが、お伺いする回数が増えて、やがては、スケジュールボードに○○社○○様と記載が、私含め増えていき、それもまた嬉しくて、未だに月間スケジュールのボードにスケジュールが増えていくのも、当時を懐かしみながら眺めています。プレイヤーに、いついつレッスンにちゃんと来てくださいね的メールがキャラから来るという、画期的なメールシステム(裏の通称キャバシステム)は最初、出勤簿をつける感覚で検討が始まりました。ただ、後半も後半。未来研でのプライベートショーでこの意見が本格化し、始まりました。ゲーセンに出勤って。とか皆で笑ってました。誰がちゃんと出勤した、してないとか面白い的な。プレイヤーであるプロデューサーが、携帯、というかピッチ(PHS)が多い中、月額料金を別途支払ってまでメールを設定してくれるだろうかという不安だらけ、ギリギリのスケジュールではありましたが、現在に至るまで、アイドル達との距離感をより身近に感じさせてくれるシステムまで昇華してくれたのには感謝しかありません。そんな私も今は、地方のど田舎でしっかり錦を揚げて、のんびり幸せに生活させていただいてます。残りの人生、もはや.59爺ぃ、還暦間際、婆さん、娘、孫2人ではありますが、プロデューサー業になんとか邁進していきたいと思っております。若い世代の皆さまには、どうぞ、この後も、プロジェクトi M@sを後世により伝達していただけるよう、よろしくお願いします。