自己紹介

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「あめ、やまないねー。」
「そうだなぁ。今日はお外では遊べなさそうだね。」
「えー、お父さんと鬼ごっこしたかったのにー!」
「さやか、あんまりお父さんに無理させちゃダメよ。あなたも、もう若くないんだから。」
「はは、そうだな。」
「えー。」
「さやかは元気だなぁ。雨は嫌い?」
「んー、お外で遊べないのは嫌だけど、雨は嫌いじゃないかなー。」
「お、そうなのか。意外な答えだな。」
「なんかねー、いろんなものが洗われて綺麗になる感じ?」
「……そうか。」
この娘には、世界は綺麗に映っていてほしかった。後ろに続くその言葉を、私は飲み込んだ。
「雨で流されていくのを感じるのかな?」
「んとねー、雨で流されるっていうよりも……黒い雲が沈んできてそのまま世界が飲み込まれる感じ?いろんなものがねー、全部ゼロになる感じがするの!」
「……」
やはり私の娘なのだろう。こんなに小さな娘がこういった感性を持っているのは。少しほろ苦い気分になったが、同時に何かむず痒いものがこみ上げてきた。私に何かを訴えかけるような妻の視線のせい、ではなさそうだ。
「よし、さやか。じゃあお父さんが何かお話してあげよう。」
「じゃあねー、さやか、昔の話がききたい!」
「そうか?あんまり面白くないぞ?」
「いいの!さやか、お父さんの昔の話すき!」
「じゃあ、昔の話をしよう。お父さんとお母さんが付き合うもっと前の話だ―――」

「昔はな、この世界は全部『インターネット』で支配されていたんだ。」
「いんたーねっと?」
「そう。さやかの頭の中にだけ、さやかが好きにできる世界がある、っていうのはわかるかい?インターネットっていうのは、その空想の世界を、世界中の人間で共有して、もう一つ仮想の世界を作り上げたんだ。」
「インターネットによって人は全世界の人ととても自由に、そしてとても頻繁に”繋がる”ようになったんだ。」
「人はそれより前よりも、そして今よりも、とても沢山の人と交流するようになった。その影響でどういうことがおきるか……わかるかい?」
「ん~。わかんない。」
「人が交差点になるんだ。」
「こうさてん?」

「そう。それまでの人はみんな自分の道を歩んでいた。たまに他の道と交わって、迂回して、湾曲して、それでも『自分の道』を歩んでいたんだ。」
「でも、インターネットの出現でこの道が異常な密度で交わるようになった。」
「そうなると、人はみな、道ではなく交差点となった。」
「交差点、すなわち自分でない誰か他の人々の人生の交わる点として生きるようになった。誰か他人の人生に身を委ねる、というのは責任の追及から逃れる一番の近道だからね。」
「僕のこのセリフも、きっともう既に誰かが歩んだ道がいくつか交わっただけの点をなぞっているのかもしれない。」
「こうして自分以外の誰かの人生をなぞる人生を送っていくうちに、個は集団に溶けていった。」
「インターネットの出現により、人は他者との繋がりを強くしていった結果、集団へと溶けていったのさ。」
「こうしてみんな、集団の一部として自らを規定するようになった。いや、『自らを規定する』ということすらしなくなってしまったのかな。結局、自己がなくなってしまったんだ。それはもう、ひとと呼ぶのとは違う何か、なのではないかな……。」

「ん~?」
「はは、さやかにはちょっと難しかったかな?」
「よくわかんなーい!」
「そっかそっか。」
「『たくさんの人』ってどういうこと?」
「……。」
「お父さんとお母さんの他に人がいるの?」

―――私も耄碌したのだろう。懐かしさに感けてこんなミスをするとは。いや、ただ懐かしかっただけではない。娘の成長……というのが正しいのだろうか、ただ生命活動を続けていただけの赤ん坊であったのに、娘に自己という人格を感じた。しかもその人格に自分との類似点を見つけてしまった、この経験を「ふと娘の成長を感じた」と表現するのが正しいのか、私は解を知らない。

さやかが産まれたとき……この娘だけはせめて人間らしくと、私と妻はインターネットをやめた。結局この世界では、私と妻と娘の三人だけが、昔からの文脈で「ひと」と呼べるものとなった。他の人間は皆ヒトであって、ひとではなくなったのだ。

「はは、つまらない話をしてしまったね。さやかにはちょっと難しかったかな?」
「よくわかんない!」
「そっか……。」

てるてるぼうずを作り始めた娘。夕食を作っていたが少し憂うような表情を浮かべる妻。そんな、日常風景に混じった違和感を眺めながら、私はぽつりと独り言ちた。


―――「明日は、晴れるといいな。」