Facebookもやってます。
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音楽については普段聴いているのは比率で言えば7割以上いわゆるクラシック音楽とよばれているものになりますが、アニメソング(最近は菅野よう子という作曲家にどっぷりとハマってしまい、なかなか抜けられません…)歌謡曲(基本的には20年以上前の佳曲たち)、ジャズ、フュージョン、ロック、ファンク、ワールド、民謡、映画音楽etc.、とにかく美しい曲&素晴らしい演奏でさえあればジャンルは問わず何でも聴きます。 最近、メタルにハマり始めました(特に北欧のメロディアスなもの)。
ナマで人間が何かをやっていることなら(要はライヴパフォーマンス)基本的には何でも好きなので、演奏はもちろん、演劇、落語、講談、浪曲などの伝統芸能に至るまで幅広く観ます。そしてスポーツ観戦も大好き。暇と金さえ無尽蔵であれば、これらを棺桶に入るまでずっとハシゴし続けていることでしょう。
目標は音楽の良い聴き手となること。そして素晴らしい音楽とそのパフォーマーの庇護者であり続けたいと願い、日々精進しているつもりです(怠けがちですが)。
実際の演奏にも関わらせて頂いているのは、ひとえに自身の批評眼の深化を期待してのことです。
実際に音を出す苦しみや喜びを知らずに音楽について語るのは片手落ちだと思いますし、そのような人間による無責任かつ悪辣な批評は音楽を心から愛する人々にとり、もはやただの害毒でしかなく、唾棄すべきものだとさえ考えています。実際に音楽を演奏しない人間が音楽について語ることを必ずしも否定するものではありませんが、願わくは私の知り得ないような遙か遠くでこっそりとやって頂きたいというのが偽らざる本音です。
ところで僕が音楽について、持って生まれた才能と呼べるものは感覚器官としての両耳と医学的にはいちおう正常とされている聴覚(このことについては両親に深く感謝しております)だけです。
ただし演奏に関する才能については残念ながら皆無であると10代後半の頃に気付いてしまいました。才能がないのであれば、演奏をさせて頂く以上は、ゼロから刻苦勉励してでもとにかく創り上げる(捏造する)より他に方法がないわけです。なので見ず知らずの皆様からお金を頂けるような演奏が実現できる可能性がないこと、つまり私の演奏行為が「下手の横好き」の域を出られないのは、他の誰よりも私自身が深く自覚しております。
もちろん演奏させて頂くからには、無い知恵を振り絞り、全身全霊を傾注し尽くし、毎回楽曲と心中する覚悟で臨んでおります。にもかかわらず、同時に私には未来永劫にわたり、決して到達できないであろう領域が音楽には確実に存在することもまた、重々認識しているところです。
音楽以外では、日本の古典文学及び漢籍などをこよなく愛しております。とはいえ読解力がまだまだで(せいぜい大学受験生レベルに毛が生えた程度)、高めたいと思いつつもなかなか時間が取れないのが悩みです。ただし「源氏物語」はライフワークにしており、新しい研究成果が発表されたら可能な限りせっせと目を通すように心掛けています。
王朝文学も随筆も歌も大好きです。古代~中世の日本語の語感、語調、季節の移り変わりや天候、そして昔の日本人の花鳥風月(もちろん虫の音なども含めて)に対する感性の濃やかさに強く惹かれています。自分が不肖であるとはいえそういう人たちの末裔であることを非常に嬉しく思っています。
漢籍では唐の時代を中心とした詩作や(李白、王維、白居易、杜甫、孟浩然などはもちろん、時代は違いますが陶潜なども)、「史記」「漢書」「三國志」などの歴史書、「老子」「孫子」「論語」などを特に好んでいます(諸葛亮の「出師表」などは涙なくして読めません…)。荒廃した現代にこそ必要なのはタオイズムだと半ば本気で考えていたりもします。