自己紹介

平成13年生。朝鮮中近世史専修。主に高麗・朝鮮時代の王陵制度について研究。春から大学院に進学予定。日本の皇室や陵墓に関するノートを書いています→http://note.com/fjwrhrt2

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こんにちは。明治大学文学部史学地理学科アジア史専攻3年、藤原 大翔(フジワラヒロト)です。

大学では朝鮮王朝末期から大韓帝国の成立、植民地時代に至る王室の葬送儀礼について専攻しております。その他、日本の皇室に関係する全てに興味関心がございます。さらにいえば、葬送儀礼に関連して日本各地にある皇室陵墓や近世における墓制も嗜好対象です。

なぜ葬送儀礼なのか。そのような疑問を持たれている方も多いと思います。マニアック、ともいえる分野でしょう。しかしながら、葬送儀礼こそ人類に共通して行われた通過儀礼であり、それは東西古今に変わることはありませんでした。人類だけが墓を営み、死者を慰める葬送儀礼を行ってきたのです。それだけでも注目に値する葬送儀礼ですが、これが君主、つまり王や皇帝など人々から権威を認められ、崇められる対象であった存在の葬送儀礼というものは、一般の人よりも遥かに重要な意味を帯びています。

君主の葬儀には多数の人々が意図的に動員され、死が最大級に演出されていたのです。これは過去形ではなく、皇室という権威を有す本邦でも現代に発生しています。朝鮮王朝の葬送儀礼も国家的に死が演出された極めて重要な儀式でした。また現在ユネスコ世界文化遺産にも登録されている朝鮮王陵における王陵儀式も、「陵幸」と呼ばれる国王の行列や同時に行われた軍事演習は王室の権威を人民に示す重要な儀式でした。死の発生は王室権威の維持になくてはならない事象でもあったのです。以上のような例を以てしても、葬送儀礼の解明はあらゆる分野に関連していることがわかります。

日本は周知のように、大韓帝国を併合しました。その過程で「王公族」と呼ばれる準皇族のような存在が生まれます。日本は彼らの死を演出しました。例えば、李太王こと高宗は日本式に葬られましたが、この時に日本は諸侯国としての朝鮮王朝最後の国王である25代哲宗の国葬を参考としています。結果的に行われた葬儀は日本の神道色が色濃く反映された儀式でしたが、日本は間違いなく朝鮮王朝における過去の国王葬儀を参考としていたのです。ここで一つ疑問が浮かび上がります。では「哲宗における国葬はどのような儀式だったのか」と。さらに「それ以前の国王葬儀はどのような儀式だったのか」も。前述したように朝鮮王朝は明清から冊封を受けた諸侯国でした。国のトップは陛下ではなく、「殿下」です。ますますどのような儀式が行われ、どのような死が演出されていたのか気になってきませんか?

私が魅了されたのは諸侯国として振る舞う朝鮮と近代にあたって帝国を成し遂げた大韓帝国、そしてそれを併合し朝鮮王朝の儀式を参考とした日本の姿です。従来、植民地研究は様々な角度から実践されてきましたが、葬送儀礼を中心に前後を比較した研究は少ないように感じられます。高宗国葬の過程は新城道彦氏の研究に詳細ですが、氏もまた哲宗など朝鮮王朝時代の国王葬儀の検討には至っておりません。諸侯から皇帝へ、皇帝から「李太王」へという流れを葬送儀礼を中心に添えた研究に従事したいと考えております。卒論については大幅に固まっておりますが、ここでは記述を控えたいと思います。

さて、長々と書いてしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます。ここからは何を書こうか…。あ…!今までの人生を振り返ってみますか(唐突)

私は静岡県掛川市に生まれました。その後、小学一年生の春に静岡県御前崎市へ引っ越します。地元の公立中学校に通い、第一志望の高校を諦めてオープンキャンパスにも行った経験がない謎の高校に進学しました。海が近いと聞いていたので、楽しみだったのですが、4階からかろうじて見える程度だったので失望した思い出があります。

顧みれば、高校時代に天皇・皇室に関心を抱くようになりました。元々、人とは違う道に行きたいという思いが強いガキンチョであったため、皇室への興味関心もそこが発端だったのだと思います。つまり、友達が戦国武将の誰が好きかという話をしていても、どこか味気ないと感じていたわけです。誰も天皇を戦国武将として考えなかったことに違和感を覚えたような感覚でしょうか。もちろん、天皇は戦国武将ではありませんが、どうしても歴史上に存在してきた人物として捉えられていないように感じていたのです。

高校では自分で言うのも恥ずかしい限りですが「天皇キャラ」で通っていたのかなと思います。野球部の主将から排尿中に「よう天皇!」と言われたことは今でも忘れられません。「いやわし天皇ちゃうわ!」と言ってやりましたが。ある日、理数科に歴代天皇を黒板に描いた奴がいるという上奏(僭)を友人が持ってきましたが、その時ほど闘志が燃えた日はありません。あとは…当時の担任の急な思いつきで始まった朝のスピーチ大会で高円宮王女の結婚と皇位継承問題について語らせていただいたことがあります。通常スピーチは毎日一人3分ずつと決められていましたが、私は15分ほど話し続けてしまいました。廊下で朝のHRを終えた他クラスの友人が、笑いながらこちらを見ていたことを思い出します。担任は体育教師だったので特に何も響いている様子はありませんでしたが(失礼)、私に執拗に「明治学院大学を受けろ」と言ってきたことは記憶しております。受けませんでしたが。(とても感謝している先生です)。

早稲田大学に受かればサークルを作ると決意して受験勉強に勤しんでおりましたが、結局、落ちても作ってしまいました。それが明治大学王室研究会です。大学1年生の思い出はそれに尽きるでしょう。同じアジア史専攻の友人と共に結成しましたが、その後も興味を抱いてくれる学生が多くあり、現在でも元気よく活動させていただいております。

そして大学一年生の終末にコロナがやってきました。大学の授業はほとんどオンライン化し、家で1日を消費することが多くなりました。大学には行けず、何のために東京で家賃を消費しているのかもわからない状況が続きましたが、私はこれをポジティブに考えたいと思います。この期間は朝鮮や皇室に対して一層の理解を深めることができた時間になりました。コロナがなければ、自分一人で朝鮮史や皇室に向き合う時間もそれほど多く取れなかったかと思います。しかしまた、コロナがなければ、学友とのつながりをさらに深め、海外にも足を運ぶことができたであろうことも事実です。結局は人間誰しも、振り返った時に見える道は一本しかないわけですから、何を言っても無駄ではありますが、やはりやりきれない感情は捨てきれません。

そして今、大学3年生となってしまいました。進路についても真剣に考えなければなりません。今のところは大学院への進学を考えております。やはりどうしても韓国に対する興味は尽きないものでして、人生をそれに捧げる覚悟でいます。と・・・言い切ったと思ったら、再来年の春に働いている姿をお見せするかもしれません。一寸先は闇の昨今、何が起きるかわかりませんから。しかし闇とわかっている以上は、その場で動いてみるしかないでしょう。さて、どう動きますか・・・。

うーん、自己紹介って何でしたっけ?どうしても自己紹介にならないな。長文を書く人は頭が悪いらしいですが・・・つまりはそういうことです。

ではそうですね、最後に一つ。

好きな食べ物は魚卵です!

日付データ

プロフ更新日2021/05/14 04:05 プロフ作成日2020/03/26 02:01
API更新日2023/03/27 04:10 API更新予定2023/03/27 05:10