自己紹介

声楽家(Coloratura)教員(音楽一種)Kolokol*Quubi*Axelight*PRSMIN*Merry BAD TUNE.*YOLOZ*サクヤコノハナ*Ketulo*ネムレス*AVAM*0番線と夜明け前*神戸セラボ*おじゃす*矯正ちゃん*ファーストサマーウイカ*汐見まとい*ありぃくん(uijin)他指導

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@matinee_poetic
東大阪にて楽器屋の娘として生まれる。
3歳からピアノを強制的に習わされ、常にクラシック音楽が身近にあったので音感をこの時自動で鍛える。
ピアノはほとんど練習しなかったが小沢健二の超初期曲" 向日葵は揺れるまま "が好きで、
楽譜に弾き方を書き込みまくった結果唯一先生に褒められる。

中学で暴力を伴ういじめ(主に人間数人に前後左右に挟まれ殴る、蹴られた足跡もセーラー服に残ってた:母談)が発生し、
中1より自宅警備員開始。同人誌を描き始める(主に天外魔境、FF、ロマサガ等のゲーム系)
楽器店の住所に戸籍をうつし転校先の中2から同人誌と突然のヤンキー兼業にジョブチェンジする。
高校は武道推進校と知らず適当に入学し(偏差値30)ピアス、髪色を常注意され縦社会とパワハラ丸出しの体育に行かず
全日制を留年した為、やる気をなくし退学。
その後新たに入った大阪市立桃谷高校(通信学部だが毎日通う系)で服好きの友達がたくさん出来、私服で登校する為毎日がファッションショーだった。
現在の服のチョイス、いいものを見つける感動はこの時の目利きでずいぶん鍛えられた。
周りは薬物に溺れる子も多かったが、 当時仲良くさせて頂いてた漫画家岡崎京子さんの夫の朱雀正道さん曰く
「純子さんは危なっかしいんだけど逆に危なくないよね」
との名言を頂く。

18歳で楽器屋倒産。両親の自己破産から一家逃亡し身を隠す生活スタート。
通信高校でたまたまあった声楽の授業を選択。この時担当教員だった声楽家の中山禎子と出会い師事。

鑑賞演習の授業で観た映画「アマデウス」にてモーツァルトのカキタレのコロラトゥーラ女のレッスン風景のシーン、
着々と名を轟かせるモーツァルトってどんな人なの?というゴシップめいた話から一転、サリエリがピアノで
発声を促した時の女の歌声が面白すぎてカッコよく衝撃を受ける。
大恩師の中山先生に対しほんまに礼儀知らずのクソタメ口な無礼者で毎日春麗みたいな服装で登校し(当時はW&LTなどのサイバー系とデコラ系を滅茶苦茶に着てた)、ラ・ボエームを遅刻の上ノー勉で歌っても、
" あなたは歌を続けなさい "
と信頼できる大人から唯一まともな助言を頂き、音大へ進んで声楽の道を歩む事をまあまあなんとなく決める。
大学合格からその後の教員免許取得の教育実習も母校へ戻り先生に支え続けて頂く。
奇しくも自分の声質もアマデウスのソプラノ女と同じくL.coloratura(レジェロコロラトゥーラ、技巧的且つ高音域が特徴。敏捷性のある素早いパッセージを得意とする)へ進む。
幼少からさんざん音楽教育を受け、夕陽丘の音楽科へ進め、プール女学院へ行けなど大変熱心だった親から「音楽なんかやってどうすんねん」的手のひらクルーな不賛同を受けつつ全くの準備なしで4大を受け見事落ち、短大へ行く。

ソプラノの安藝榮子に師事。学内でも厳しくて有名な先生であったが、有益な事、教わる事が沢山あり1回1回が
充実したレッスンだった。
いまだに出会った大人で唯一" 本当に怖い "と感じる恩師。
先生のレッスンはエキセントリックで、一音一句一リズム間違う事を絶対に許さないし(ミスるとレッスンと精神が
物理的に終わる)、歌を歌うことへの論理的な思考への追求が緩い奴を極度に嫌い、この単語の意味は?で即レスがないと
"今から下の図書館で調べてきてね?(笑顔)"という、精神的圧迫感があるものの元来ハマると一生やり続けられ、かつ幼少より耳だけは無駄に偏差値の高かった自分には安藝先生との相性は大変良く、求められる全てを事前にフルMAXで用意できた。
レッスンは毎週火曜日の15:15-だったが、

火曜日の夜『ふぅ~清々しいぜ』
水曜日『清々しい練習』
木曜日『練習』
金曜日『練習(恐怖雑念が入りだす)』
土曜日『練習(もうすぐ火曜日かぁ)』
日曜日『練習(やばいもう明後日やがな』
月曜日『練習(明日や.....)』
火曜日の朝『視聴覚室で指定されたコンコーネの音チェック、念の為2.3番先まで歌えるようにしておく、
課題曲の全単語調べてるか、フレーズや表現に自分の調べた結果を完璧に即レスできるか、
そして変な解釈を持ち込んでいないか...(レッスンが終わる為)』

というルーティーンを4年続けた。
この時、敬語を覚える。

上記の様な大学生活の為、在学中は学内の馴れ合いに一切関わらず外部のコンクールにぼっち参戦を続ける。
短大から四大へ編入し大学4年の学外コンクールで初入賞。
一番小さい奨励賞だったが、いまでもこの賞が一番嬉しい。
卒業時に教員免許を取得。模擬授業で「あんたはそのスタイルの授業のままでよろしい」と一発OKを頂く。
その時の授業と今の授業の根本的な形は全く変わらん。
それは紛れもなく音大の道を開いて下さった声楽の中山先生、通信のくせに単位落とし確定直前で職員室まで怒鳴り込んでくれた担任の伊藤和史先生(嫁が大音卒なんや、お前もがんばれただし社会のテストはうまくカンニングしろバレバレやぞとアドバイス頂いた)のお陰で、人の為に自らを省みず動く心根や、歌唱について深くどの角度の目線からもアプローチを行う事の根本的な姿勢を説いて頂いた安藝先生という私にとって数少ない信頼できる大人との結晶そのものだと今でも強く感謝している。

卒業後もコンクールを受け、賞を取り続けた後中国へと渡る。政府主催の取材に応じながら現地でのコンクールに参加。一位入賞するが、この時の精神状態とストレスから発狂、自ら安藝先生にケンカを売り破門。「あなたも随分偉くなったものだわね…I'm singer!Mind your manners!(私は表現者よ!分をわきまえなさい!)」と突然英語でキレられ少し半笑いになる。
たまたま真横に居合わせた二胡の鳴尾牧子先生は淡々と、しかし涼しい顔で調弦をしておられて、この修羅の場においてこの雰囲気はまじでカッコイイと思った。
その後、R・ハニーサッカー(バリトン)、朝比奈隆ら著名な指揮者や声楽家を多く抱える故中川牧三(テノール)に師事。
(牧三先生の最後の弟子)

8年ぶりに安藝先生と再会。キョドリながらもうまくやりすごす。先生との歴史的和解の瞬間であった。
後輩となったナカジマを安藝門下に入門させたのもこの時。

現在は演奏×教師の2足でアイドル、歌手、ナレーター、俳優、声優、舞台役者などを育成しながら演奏活動も行っている。
好きな台はギンギラパラダイス(甘)。
こいつと気が合いそうと思った人、おもろいなんかを一緒にできる人お待ちしてます。

日付データ

プロフ更新日2024/04/16 15:38 プロフ作成日2017/04/11 10:51
API更新日2024/05/21 05:28 API更新予定2024/05/21 06:28