物心ついたときから異性にも同性にも恋愛感情を抱いていました。
中学生のときに本格的に同性に恋をして、
#バイセクシャル という言葉を知りました。
その後ずっとその子が好きなのに他の人も好きになったり付き合ったりして、ずっと浮気症だと思ってました(複数人と同時に付き合ったりしたことはありませんでしたが)
結婚し、子供が産まれ、誰にもカミングアウトするつもりはありませんでした。しかし、
#演劇集団LGBTI東京 の
#貴方の記憶コレクション という公演をみて、自分が何者であるのかを自覚して、自分として自分らしく生きたい!と強く思い、夫や一部の友人にカミングアウトしました。ずっと好きだった彼女にも。
カミングアウトと共に、告白しフラれましたが、今でも彼女のことは好きです。親友としてママ友として、ずっとそばにいます。 (え?キモいって?w
以降、演劇集団LGBTI東京プロデュース、中野の
#bar #ルナラパン 内
#ルナラパン演劇部 に定期的に遊びにいっています。あたたかい家族のような、もうひとつの自分の家、居場所、拠り所になっています♪
高校生の時からなんとなく憂鬱な時間が増えました。いわゆる思春期というやつでしょうか。
高2のときに突然、過去に男性にいたずらをされたこと、その後の親の対応…諸々をフラッシュバックしてうつ状態になりました。
病院へはいかず、スクールカウンセラーにお世話になってました。
高校を卒業してから本格的に精神科へ通いだしました。
一つ目の病院ではカウンセラーに追い詰められて死にたい気持ちが強くなりました。
死にたくなかったので自ら医者に申し出て、入院。それとともに転院になりました。
入院することになってようやく親は私の精神状態が深刻だと言うことに気づきました。
転院先に高校時代お世話になっていたカウンセラーがいて再会。
その後も治るまでずっとお世話になりました。
1ヶ月ほど入院して、その病院と同じグループの通いやすいクリニックへ再度転院しました。
退院後のほうが実は希死念慮が一番強かったです。
車道に飛び出そうとして止められたり、たぶん、その頃から
#自傷行為 や薬物の過剰摂取
#OD もはじめました。
通院している内に薬がどんどん増え、それがきっかけかなんなのか分かりませんが、躁転してしまい、
#躁鬱病 にレベルアップ(?)しました。
カウンセラーに躁転したとき、鬱に戻ったときのやり過ごしかたというか、過ごし方、注意点を指導してもらったことは、治すのにとても役立ったと思ってます。
25歳くらいまで躁鬱と戦ってました。
精神のコントロールが身に付いたことや、いろいろなことがきっかけで通院が必要なくなりました。(薬も自分の判断で減薬、断薬しましたが、脳が必要性を感じていなかったからか、さほど離脱症状はきつくなかったです
治るまでのこと…必死でしたのであまり記憶にないことも多々あります。
25でやっと手に入れた自由でしたが、その後は体の方がいわゆる難病といわれるものになってしまいました。(国は難病指定していませんが)
介護の仕事をしたくて鬱と戦いながら死に物狂いで介護福祉士となったのに僅か数年でドロップアウトです。奨学金という借金と役に立たなくなった介護福祉士の証明書だけが残りました。残念!
それでも病気になる前から付き合っていた夫と無事に結婚でき、前例がほとんどなかったものの出産もし、以後、持病のコントロールも幸いうまく行き、今は幸せです。
あのとき死ななくてよかった。
こんな体でも生きていてよかったと、いまは心からそう思います。
(そう思ってたけど、夫の不倫発覚後は無。死んでもいいし生きていたくもないし、虚無・惰性で生きてる)
いまの自分のセクシャリティや、恋愛指向として自覚しているのは、
#ジェンダーフルイド (性自認が流動的。男だったり女だったり、それ以外だったり…その時々で無意識に切り替わります。どちらでもあって、どちらでもないというスタンス。)
#Xジェンダー 現状を分かりやすく?馴染みのあることばで言えばXジェンダー
#FTX
#パンセクシャル (恋愛対象性別関係なし。性別より人柄。でも、今は夫以外の男は無理。ほんと無理。最近はだいぶビアン寄り)
#ポリアモリー #ポリガミー (複数愛。同時に複数の人に恋愛感情抱きます。)
まぁまぁのクズです。
わりと繊細です。
タバコ吸います。
酒好きです。
仲良くしてくださる方…いたら嬉しいです。
18歳未満は諸事情によりお断りさせていただきます(´。・д人)゙