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『仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり』 日蓮正宗 Focus on the signal,not the noise 🇯🇵 #安倍晋三 #岸信夫 #鈴木宗男 #TRUMP #プーチン #antiglobalism #ワクチン未接種 #WCH #緊急事態条項は危険 #No岸田政権 #参政党 #新党くにもり

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日蓮正宗。2014年11月22日、縁あり京都の末寺で御授戒。正宗とは一に止まると書く。末法の仏とは日蓮大聖人、唯仏与仏なり。2024年3月8日は特別な日。

十方佛土の中には、唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し

今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし

釈迦如来、五百塵点劫の当初、凡夫にて御座せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき、後に化他の為に世世、番番に出世、成道し在在、処処に八相作仏し王宮に誕生し樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らしめ四十余年に方便教を儲け衆生を誘引す、其の後方便の諸の経教を捨てて正直の妙法蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕して其の中に四十二年の方便の諸経を丸かし納れて一仏乗と丸し人一の法と名く一人が上の法なり

一代五十年の外に仏法ある可からず

寂場にして説かんと欲するに物の機未だ宜からず其の苦に堕せん事を恐れて更に方便を施す。四十余年種々に調熟し法華の会に至つて初めて略して権を開するに動執生疑して慇懃に三請す五千起ち去って方に枝葉無し四一を点示して五仏の章を演べ上根の人に被るを名づけて法説と為し、中根は未だ解せざれば猶譬喩を●う、下根は器劣にして復た因縁を侍つ

今日の釈尊は三蔵教の教主、次第次第に通別円と昇リて迹門十四品の中、法師品までは劣応身なり、宝塔品より他受用報身となり、寿量品にして自受用報身となり給う所説の法門は従因至果の迹門なり、本門とは云えども迹中の本の本門なり

今末法に入って二百余歳、大集経の於我法中・闘静言訟・白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起こるべき時節なり

像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して、迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して、百界千如、一念三千其の義を尽くせり

四依に四類有り、小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現す、大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現す、三に迹門の四依は像法一千年、少分は末法の初めなり、四に本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し

世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序の為なり。所謂迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是なり

像法の中には天台一人法華経、一切経をよめり、(中略) 像の末に伝教一人、法華経一切経を仏説の如く読み給へり、(中略) 今末法の始め二百余年なり、(中略) 日蓮一人これをよめり

内証は龍樹、天台等には戒は劣るにもや戒は同じくもやあるらん、仏法の人をすべて一法となせる事は、龍樹、天親にもこえ、南岳、天台にもすぐれて見えさせ給うなり

時代を以て果報を論すれば龍樹、天親に超過し天台、伝教にも勝るるなり

日蓮が法華経の智解は天台、伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は、をそれをも、いだきぬべし

日蓮が智のかしこきにあらず、時のしからしむる耳

我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり此れを実と云うなり

我と申すは十界なり

久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱う

此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり

釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を紹継して其の功徳を受得す(中略) 我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり(中略)地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、上行、無辺行、浄行、安立行等は我等が己心の菩薩なり、妙楽大師云く、当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し

在々処々に迹門を捨てよと書きて候事は(中略)叡山天台宗の過時の迹を破し候なり。設ひ天台・伝教の如く法のまゝありとも、今末法に至っては去年の暦の如し

伝教大師は「正像稍過ぎ已って、末法太だ近きに有り」等と云う。「末法太だ近きにあり」との解釈は、伝教大師の時は正しい時ではないと云う意味である。
伝教大師が日本の末法の始めを記して「代を語れば即ち像の終り、末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯の西、人を原れば則ち五濁の生、闘諍の時なり。
経に云く、猶多怨嫉、況滅度後と、此の言良に以有るなり」と云う。

この解釈に「闘諍の時なり」と云う。今の自界叛逆・西海侵逼の二つの難を指すのである。この時に、地涌千界が出現して、本門の釈尊を脇士とする一閻浮提で第一の本尊が、この国に立つのである。

月支・震旦に未だにこの本尊は無い。日本国の聖徳太子が、四天王寺を建立して未だに時が来ていないので、阿弥陀仏や、他方を本尊としたのである。
聖武天皇は東大寺を建立した。華厳経の教主である毘廬舎那仏を本尊とした。未だに法華経の実義を顕わさなかった。伝教大師は、ほぼ法華経の実義を顕示した。しかしながら、末法と云う時が未だに来ていないので、東方の鵞王を建立して、法華経の本門の四菩薩を顕わさなかった。所詮、地涌千界の為に、これを譲り与えたからである。この地涌の菩薩は仏勅を蒙って近く大地の下に在る。正法・像法に未だ出現していない。末法にも未だに出て来なければ、大妄語の大士である。三仏の未来記も、また泡沫と同じに成ってしまう。これを思惟すると、正法・像法に無い大地震・大彗星が出て来た。これらは金翅鳥・修羅・竜神等の動変ではない。偏に四大菩薩を出現する為の先兆なのか。

天台大師は「但下方の発誓のみを見たり」等と云う。道暹は「付属とは此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す。

天台大師は「雨の猛きを見て竜の大なるを知り、花の盛んなるを見て池の深き事を知る」等と云う。妙楽大師は「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」等と云う。天が晴れれば、地は明らかである。法華経を識る者は、世法を得るか。

一念三千を識らない者には、仏は大慈悲を起こして、五字の内にこの珠を包んで、末代幼稚の首に懸けて下されたのである。地涌の四大菩薩が、この人を守護される事は、太公望や、周公旦が、文王を助けて、(商山の)四皓が、恵帝に仕えたのと異ならない者である。

末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや

日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来の御使、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候

大覚世尊は此一切衆生の大導師

如来とは釈尊、惣じて十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり

教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし、かかる不思義なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙々るが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり

日蓮は天上天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり。乃至三世常恒に日蓮は今此三界の主なり

日付データ

プロフ更新日2024/03/09 20:49 プロフ作成日2012/12/12 17:15
API更新日2024/05/04 19:56 API更新予定2024/05/04 20:56