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174cm/62kg 大阪出身
苛め/家庭内暴力/母子家庭/鬱

小さい頃は家庭内暴力に曝されて毎日泣いていました。物心ついた時には生まれたことを後悔していました。小学生時代に2度転校をしており、引越しの度に友人関係がリセットされ頼る人もいなく、諦念と親への憎悪を湛えた小学生時代でした。
小5の時には教師の理不尽な授業方針に反発し、授業をボイコット。転校するまで1年近く不登校の日々が続きました。家庭内でのある事件により、父親に殺される危険を感じて家出を決意したところ、それに母が乗っかり別居→離婚が成立。母と兄と自分の3人暮らしになります。しかし兄による家庭内暴力が増し、さらに強いストレスを感じる生活が続いたため以後4年ほど頭がハゲました。他人を傷つけてばかりの父兄を生きる価値が無い人間と判断し、自分の遺伝子を嫌悪するようになりました。1年ほど岐阜の小学校に通い、何の感慨もない卒業式を迎えた後、愛知県の中高一貫校に入学しました。父の遺伝子を後世に残さないよう、自分を恋愛や結婚から遠ざけるため、男子校を選びました。中学では恵まれた温室育ちの同級生に馴染めず、不登校になります。成績は5年間学年最下位レベルが続きました。中学時代は完全に気力が無く、涙を浮かべながらベッドで横になる生活が続きました。心が荒れ果て、自分に生きる価値があるかということにも疑問を持ちました。人生が窮していく中で、「誰かが自分を助けてくれるかもしれない」という気持ちを諦め、世界は冷酷で非人道的なものであり救いはないと判断し、自分一人で命懸けで何かを頑張ろうという決心をしました。高校入学後は不登校から復帰して水泳部に全力を注ぎました。肉体的に限界まで苦しみながら努力を続けた結果、部のエースになり、僅かながら信頼できる仲間を得ました。一方で当時のクラス内ではイジメがあり、その酷さは毎学期その苛めの標的となった生徒が学校を退学していく程でした。私はその主犯グループと対立した結果、自分が標的となり高2以降はクラス内で孤立しました。部活動のエースであったため、大会出場停止などの可能性があるので報復することは出来ず一方的にいじめられました。苛めの主犯生徒は担任の教師のお気に入りだったので被害を訴えても改善されることはありませんでした。一方で、家庭内環境はまともに生活できるようなレベルではなかったので、母親を説得して、部活動の引退後から一人暮らしを始め、受験勉強に集中します。自分の中高時代の思い出が水泳部で苦しみ抜いたことしかないのを思い、自分が子供でいられる最後の1年を受験の為に捨てる失意と、イジメのPTSDに苛まれながらも受験勉強に無理矢理集中し、脳と心が捻じ切れそうになるような苦しみに耐えて大阪大学に現役合格します。水泳部と受験、この二度の命懸けの努力をしたことで、自分を認め、自分が生きることを許せるようになりました。大学でも水泳部を続けようとしましたが、パワハラ、セクハラに加えて、練習中に深刻な怪我を負ったことで、かつて自分が命さえかけたスポーツを断念し、水泳に対して悪感情すら抱くようになります。

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