もっと自己紹介
ソヴィエト連邦海軍太平洋艦隊カムチャツカ方面ロパートカ鎮守府親衛艦娘師団第一護衛戦闘部隊所属、川内特務大尉だよ!
……え、長いって?じゃあロパートカ鎮守府って呼んでくれたらいいよ?
夜戦もだけど、輸送船団護衛って大事だよね。その状態で戦闘になるとちょっと大変だけど……。
あ、わたし以外にもここにはいるよ。
・青葉特務少佐
・鈴谷特務大尉
・衣笠特務大尉
・明石特務上級中尉
・夕張特務中尉
・Верный特務少尉
じゃ、まずは世界観から!
史実の戦力や周辺諸国との違いの大筋。
・1937~44年、赤軍と白軍の内戦が始まる(史実は1917~22年)
・41年、北欧諸国が白軍の立場に立って赤軍に宣戦布告
・44年、6月にロシア内戦終結、赤軍が勝利し、ソ連ができる
・7月、深海棲艦が初めて観測される。瞬く間に各海域で被害続出、9月には北欧諸国とソ連の間で停戦協定が締結される
・10月、日本で艤装の効果が確認され、11月になって横須賀に「特別戦闘艦隊」と銘打たれた、艦娘で構成された艦隊が編成される
・ちょっと戻って44年5月に日独伊三国相互支援協定が締結される
・45年5月、ソ連が資源と引き換えに軍事技術を交換しようと日独伊三国相互支援協定に接近。米英仏はそれを非難
・6月、日ソ間で士官交換留学が行われる
・47年4月、日艦娘の活動範囲が広がり、太平洋の6割を取り戻すも、深海棲艦の襲撃は止む様子なし。この時期から、各国かで旧来の兵器を改造して深海棲艦へ対抗しようとする計画が発動される
・11月、日本から独伊へ深海棲艦や艦娘に関する情報が送られるも、ソ連へは送られず
・ちなみにアメリカはそれを傍受するも、当初全く重要視されず、前述の計画が続行される
・48年9月、ソ連近海にも深海棲艦が出現するようになる
・12月、鷹岡提督(横須賀)とアナスタシア大佐(ソ連海軍)が深海棲艦について情報交換を行う(二人は士官交換留学で知り合った)
・3月、アナスタシアが持ち帰った情報を基に、ソ連でも艦娘の部隊を設けることが決定され、アナスタシアが最初の提督となることが決定される
・5月、アナスタシアの要望により、最初の艦娘は鷹岡のところからの編入と言う形を取る
・6月、対深海棲艦軍と通常戦力の連絡を図る本部がウラジオストクに設けられる。同時期にチュクチに鎮守府が完成、運用が開始される。目的はチュクチ-アラスカ州ウェールズ間の輸送航路の護衛
・49年6月、伊が独自の艦娘を配備
・50年、米英仏が艦娘に関する情報を開示するよう日本に圧力を掛ける。日本は51年に他国へ情報を開示するも、艦娘適性検査の方法は開示しなかった
・51年2月、深海棲艦によるチュクチ鎮守府への猛攻が始まり、一か月に及ぶ防衛戦を制する
・51年4月、破壊された鎮守府の施設の再建が始まると同時に、カムチャツカ半島ロパートカ岬に鎮守府が建設される
・10月、チュクチ鎮守府の再建が完了し、鎮守防衛に当たったアナスタシア以下艦娘に親衛の称号およびソ連邦英雄章が授与される
・11月、米で独自の艦娘が配備される
・12月、ソ連でキーロフの適性を持った者が現れる
・52年1月、ロパートカ鎮守府の運用が開始される。一部の艦娘以外はチュクチからこちらへと転属
・2月、ソ、英で独自の艦娘が配備される
・4月、仏で独自の艦娘が配備される
こんなところかな。
中身は随時更新していくよ!