もっと自己紹介
2020年12月21日更新
今はずっと空しい中にいる。
人はなぜ生きているのか。
自分を含め
こんなどうしようもない存在を
なぜ神様は哀れんだのか。
その代価として
イエス様が命を捧げられた。
そのことにすがると同時に
人にそこまでの価値があるだろうかと
問わずにはいられない。
そこまでしたからこそ愛だというのは
頭で分かっているが心に落ちてこない。
聖くもなければイエス様をそこまで愛していない。
自分なりに愛するのが精一杯で
命をかけて愛することはできない。
わずかばかりの気持ちはあっても
心の底ではそこまでできるとは思っていない。
決心して生きなければならないが
逃げる方を選んでいる。
それは巡り巡って
神様に対する不信感があるからだ。
人を創造したという不信感。
考えながら書いていると
結局は思春期になって
反抗期を迎えたということなのかもしれないな。
「好きで生まれてきたんじゃない」
そう親に言うようなもの。
そうやって親の愛を試している。
実際はそういう状態なんだろうと。
だけどそうやってでも確かめたい。
そうでなければ口先だけで
神様の愛を語ることになる。
それは最も空しいことかもしれない。
ということでまだまだ喧嘩は続きそうです。
それではまた。