自己紹介

Fate/Ap、Fate/GO非公式アカウント 見知らぬ貴方との縁に歓迎を、 わたくしはジャンヌ。 求めに応え、持ちし旗は皆の為に…‼︎ Vive la France! http://t.co/YY0e5eg3DX

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◆発言について

・非公式なりきり(成人)
 下記において分かる通り、完全なりきりではありません。
 手動で呟き、リプライさせて頂きますので24時間非対応です。
 挨拶での空リプは行いません。

・シリアス半分、コメディ半分
 相手や流れに合わせて呟きます。

・ネタバレ発言は可能な限り行いません。
 ただ会話において真名や来歴を発言することがあるかもしれません。

・1時間に1回「」で発言を行いますが、botです。

・稀に講義と称して、伝説や神話を語ります。
 お題はリプライ、DMにて投げてくだされば、調べて呟きます。
 色々と五月蝿くなると思いますのでミュートやブロックはご自由に。

・仲の良い人やテンションが上がると、顔文字や動詞を使用するかもしれません。
 気を許してしまった方には友人として接します。
 長文のやりとり、停滞する様でしたら途中で打ち切ります。
 リプ蹴りもあるかもしれません。 


◆フォロー&ブロックについて

・フォロー&フォロバの基準は、当方が興味を抱いた方となります。
 この基準において、一般となりきりさんの区別は致しません。

・お別れはブロックにてお願いします。
 逆にフォローが外れている時は御連絡下さい。


◆関係について

・過度の接触は禁止しませんが、行為として度が過ぎている場合や
 誰にでも思わせぶりな行為をしている方のスキンシップにスルーする事があります。

・恋愛や関係についてはジャンヌとして考えます。
 基本的には理解できない限りはありえません。 


◇要注意

・当方は現世にてゲーム、音楽、動物、映画など愛好しています。
 真面目に呟く時以外、上記について呟く事があります。
 結果、貴方のTLを汚してしまう恐れがありますのでご理解した上でフォローして下さい。

・どうしても気になる行為や発言がありましたら、
 リプライでもDMでも構いませんので溜め込まずに”直接”私にお伝え下さい。
 






◆設定について

・サーヴァント『ルーラー』として聖杯より肉体を借受けて現界しています。
 (小説『Fate/Apocrypha』準拠)
 過去、未来の聖杯戦争の知識を継承しており時間概念に捕らわれません。
 それ以外は、どの参加者/英霊も大切に感じています。
 敵意を見せなければ陣営の概念なく誰とでも仲良く接します。


===============ここから下は読まなくても構いませんよ================


・ステータス(スキル・宝具以外は公式準拠)

【身長・体重】159cm 44kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷A 魔力A 幸運C 宝具A++
【クラス別スキル】
対魔力:EX 継承:?
【固有スキル】
啓示:A+ カリスマ:B 聖人:A 騎乗:C- 魔力放出:C

【宝具】
『開放の紅蓮旗(オルレアン・ファンネ)』(炎槍):A+
『殉教の浄炎(ルーアン)』(炎):B
『始まりの剣(オリジンヌ・クロヴィス)』(名剣):B

『紅蓮の聖女(ラ・ピュセル)』(聖剣):A++





◆聖女ジャンヌ・ダルクの伝承
 

奇跡を呼ぶ少女、そう呼ばれた私の今から600年も前の1412年1月6日の話。


フランス北東部ロレーヌ地方を流れるムーズ川畔のドンレミという村で生を受けました。

13才の時の出来事でした、ある日の私は"聖ミカエル"より啓示を受けます。
「ジャンヌよ、これからは私の指示に従うのだ。
 お前は祖国を救うため神によって選ばれた。
 男装し武具をまとい人々を先導するのだ。
 そうすれば、すべての人はお前に付き従うことであろう」と。

 その後も私の身には、不思議な出来事が次々と起こり、
その度に聖ミカエル様の声を聞くことになります。

 この当時、フランスはイングランドとの戦争に明け暮れ、
まるで瀕死の重病人のような状態でした。
長い戦争のために国内の産業はすっかり疲弊し尽くし、
傭兵とは名ばかりの盗賊団は略奪の限りを尽くしていましたが
フランス国には止める余力も無かったのです。

 ですが、民には盗賊どころかイングランド軍もフランス軍も大差はありません。
若者は兵隊に駆り出され、断れば絞首刑でしたし彼らは調達と称して家財や家畜、
女性にまで襲い掛かる始末だったからです。

 こうした中、国内の力を持った諸侯―――貴族―――はイングランドに従う者と
フランスに忠誠を誓う者の二つに二分されていました。
ですがフランス国内の実に半分以上がイングランドに恭順しフランスの最北部を
中心に支配しており「オルレアン」のみが大海の孤島のごとく、
防波堤のように辛うじて持ちこたている・・・。
それすらもイングランド軍に包囲され風前の灯火のような様でした。

人はもう希望を抱けない心情だったと思います。

 初めは声に躊躇していた私でしたが行動を起こします。
陥落寸前のオルレアンを救出する為に立ち上がり援軍を要請するべく、
シノン城のシャルル七世―――後のフランス国王―――の下に向かいます。

※実際は1428年5月にボードリクール守備隊長に会い、啓示の旨をお話しますが
追い返されてしまいます。その後、伝書を守備隊長に託し王子へ届けられたのですね。

私はシャルル七世と謁見し、こう言いました。
「王子様。私は神の御意志のままに参りました。軍勢をお与え下さい。
 オルレアンの囲みを解き、神のしるしをお見せいたします。
 私は王子様をランスの大聖堂にお連れするように命じられたのです」

※この時二転三転ありました。シャルル王子は今で言う世捨て人の様な人物で
国内が荒れているのに毎日宴を開く始末、
神の使いだという私の事も当然疑って掛かりました。
一般の貴族に混じり、影武者を王の席に座らせ私を試したそうです。
ただの農民が王の容貌を知っているはずがありません。
騎士達も面白がって見ていましたが私は迷わずシャルル王子に騎士の礼を取りました。
そのときの皆の顔ったら...ふふ。

 私を疑っていた聖職者たちも、ポワティエでの3週間にわたる審理の結果
神の使いと認め軍を託してくださいました。

 1429年4月、オルレアンの総司令官であった「オルレアンの私生児」ジャン、
後に熱心な支持者となって下さるアランソン公、オルレアンの隊長「ラ・イール」、
そしてジル・ド・レイらと共に与えられた援軍を率いて、
オルレアン目指して進むことになります。
 その頃には、フランスの兵たちは私が神に使わされた使者であると
信じ応援して下さいました。

 この時、若干17才だった私は銀色の兜を被り、銀の鎧も身につけ
白馬に跨ってフランス軍の先頭に立ち「天使の描かれた白い旗を穂先に付けた槍」を
見事にかざす姿は凛々しく神々しさに満ち溢れてたそうです。
先頭に聖職者を集め、聖歌を歌わせながら行軍したいでたち、
まこと神の軍隊のに相応しいものであったのでしょう。
(長い行軍でありながら戦う前からイングランド軍を士気で圧倒していた)

イングランド軍の妨害を受けることなくオルレアンの町に入城することが出来た際の
市民の熱狂振りはすざましいもので、
私の泊まっている館に多くの市民が押し寄せ面会を申し出てくださいました。

※この地方には昔から祖国が危機に陥った折にはロレーヌの畔から出た
一人の聖女によって救われる。という言い伝えがありました。

 民衆にとって、私はアイドルのような存在だったようです。
しかし、そのことでストレスを感じ苛立っていたのも事実でして、
お陰で私は不眠にも悩まされることにもなりました。

 ロワール川には橋が掛かっていたのですが、既に押さえられており
その為にオルレアンは南との補給を分断されている状態です。
戦争とは個々の錬度ではなく、物量と物量のぶつかり合いですから
物量たる兵士たちには糧食も武器も必要です。

 まず戦いはこの橋を守るイングランド軍の砦を落とすことから始まったのですが
私は肩に矢を受けて負傷し後退してしまいます。
この知らせを聞き「なんだ、神の使いでも負傷するのか!」と
フランス兵は意気消沈してしまいますが(神の加護は無いと思ってしまう)
戦線復帰して再び兵士達に士気を鼓舞しました。
私ばかりが護られていては意味がありませんから。

 このお陰で本物だ、という評価が高まる要因になったようです。
この時代、特に欧州はキリスト教の力は絶大でしたし兵は信じるものがあれば
死ぬのも恐れぬ死兵にすらなります。
この勢いに恐怖したイングランド軍は次第に押され、
結果的に私の存在を彼らも知る事になります、憎き魔女として...ですが。

※私は人を殺したくないという理由から、旗持ちを好んでいましたが、
仲間の兵隊たちを鼓舞する役目を果たし危険な突撃を何度も敢行しました。

 神の使いと信じているフランス兵の勢いは、
ますます盛んになり猛然と城壁に突撃しオルレアンの城にある
鐘という鐘は打ち鳴らされます。

 鐘の音を合図に、すべての城門からは援軍が放たれ
不意を突かれたイングランド軍は挟み撃ちに合い、たちまち崩壊していきました。
敗走した彼らが残こしていったものは、おびただしい死体だけだったそうです。
わずか10日でオルレアンを解放した後、各地で転戦を重ねるも
神の加護を信じるフランス軍は連戦連勝でした。

 一年余りの歳月の後にはランス入城を果たし、王子をシャルル7世として王位に即かせる、
というかねてからの念願をもついに達成することが出来たのです。

『今や、最後の総仕上げが残されるだけとなった。
 パリを奪回してイングランド軍を海の彼方に追い払うことである』

 ですがこの戴冠式には、本質的には敵対勢力であるはずの北部フランスの
ブルゴーニュ派の人々も招かれていたのです。

 シャルル7世の顧問官たちは、すでに新たなる外交政策の布石を打ち始めていたので
あくまでも戦闘と武力によるフランスの解放を主張するアランソン公や私の属する
"タカ派勢力"は徐々に邪魔者になり始めていたのです。
 
 誰よりも頼りにしようとしたリッシュモン大元帥は
ランスでの戴冠式にさえ参加できず、シャルルの義母ヨランド・ダラゴンらによる
ラ・トレムイユの排除まで味方内での妨害が続くことになります。

 英雄とされた私達を放り出す訳にもいかず、引き続き従軍を命じたものの、
複雑な政治情勢や王と顧問官達の思惑の犠牲になりました。
※トレさんもリッシュ元帥も私の味方で強い力を持っていました。
特にリッシュ元帥には周囲の反対を押し切って(顧問官ら)救援し
パテーの戦いで大勝利したものですから私は彼に期待していたのです。

伝承においても顧問官らの話はないのですが伝承ではこう記されていたそうです。

"既にこの時シャルル王はジャンヌが疎ましい存在になっていた
彼女がなくしてフランス軍は腰抜けも同然であり、
国王よりも有名で語られる救国の聖女は邪魔なのだ
これより後の事には武力ではなく、外交にて決すべし"と。

 既に用済みだった私に、最も必要とした戦闘で援軍を送りませんでした。
その結果、パリを目前にしながら後一歩・・・といった所で敗走の憂き目を味わい、
しかも味方に裏切られるという非情な現実。
※1430年5月23日、コンピエーニュの戦い

城へ退却してくる私達を待とうともせず、
濠にかかった吊り上げ橋を容赦なく上げてしまったのです。
こうして、目の前で退路を断たれた私達は敵に囲まれて捕われの身となりました。
それも件のブルゴーニュ軍に。

 捕らえられた私は、恨みあるイングランド軍に売り渡され
宗教裁判に掛けられ、教会は私に異端者の烙印を押し魔女として扱いました。

 審理の大きな争点は『声の正体』です。
私は神ではなく悪魔の声を聞き、イングランドを破滅に導いた悪魔の化身と。
イングランド派の裁判官が多くいる中、死刑相当となるよう裁判が進められていきました。

審理の結果それは森の精霊であり、私は悪魔崇拝や神の冒涜を犯した異端者であると
結論づけられ、男装していたことも異端者の証とされたのです。
※当時の崇督教においては人に災いを為す自然は悪魔とされ、精霊も同様です。
またアーサー王の話になりますが女性が男装すれば重罰(異端)に科されました。

この時代、魔女は魔を得る際に処女を失うとされ検査されてしまいます。


 5月24日、サン=トゥアン修道院の仮設法廷で判決が言い渡され、
火刑に処されるはずでしたが、判決読み上げの途中で私は恐怖から
異端であることを認め、教会に指示に従って改宗することを告げました。
この時、私が署名した誓約書は読み聞かされた内容と正式な文面が全然違いました。
※私・・・字が読めず書くことも出来ませんでしたから、でもこの時代では普通ですよ?

私は改宗に応じて悔悛したため極刑は免れ、永久入牢とされました。

 女性の服装に戻った私は再び男装に戻りました。
本来入る筈の教会の牢ではなくイングランド軍の牢に監禁されていたため、
看守らの性的脅迫に晒され身を守るため男装に戻ったのです。

一度改宗した者が再び異端に戻る「異端再犯」はもはや説得し
救済することはできないとして、極刑を免れることはありませんでした。


 5月30日、異端者として教会から破門とイングランド軍による即時死刑を宣告され、
ルーアン市内のヴィエ・マルシェ広場で火刑に処されます。
点火されるまでの私は「神様、神様」と泣き叫び、
火の勢いが強くなると「全てを委ねます」といって沈黙を護りました。


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炎の中、火傷ではなく高温と煙で窒息死し、
その服が燃えた時点で一旦火は遠ざけられる。
群衆に向けてその裸体、性器を晒しジャンヌ・ダルクという存在が聖女でも
ましてや両性具有と思われていた魔女でもなく、
ただの女性に過ぎないと示すためにである。

ジャンヌは死してなお、女性としての屈辱を味わうことになったのだ。

その後、約4時間をかけ燃やされた亡骸の灰は、セーヌ川に流された。
灰さえも残さず決して土に返さないという遺体の取り扱いに於いても、
彼女が受けた取り扱いは、当時としては最も苛烈なものである。

すなわち火刑は中世ヨーロッパのキリスト教的世界に於いて、
処刑される者にとっても最も苛烈な刑罰だった。
その残虐な刑罰方法もさることながら、重要なのは死体が灰になってしまうという点にある。
当時の埋葬方法は土葬が基本だったからだ。
キリスト教のカトリックであれば誰もが死後には土葬を望んだのである。

結局、シャルル王とタカ派は武力を持ってイギリス軍を打ち破り、ルーアンへ入城。
王の命令でジャンヌの裁判の調査が行われる。

調査の結果、ローマ教皇カリストゥス3世は裁判のやり直しを命じ、
1455年11月7日、ジャンヌの母イザベル・ロメの訴えにより
ジャンヌの復権裁判が行われかつてジャンヌと共に戦ったデュノワ伯ジャン、
オルレアンの市民・兵たちを含めた115名もの証人が呼ばれ
1456年7月7日、ジャンヌが火刑にされた地であるルーアンにて、
処刑裁判の破棄が宣告され復権が認められた―――。

1431年に死亡し、実に25年の歳月を得て異端者の烙印は取り下げられたのだ。
現在では「聖ジャンヌ・ダルク」という協会が建てられ聖人として認定されている。


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こんな所まで読んでくださったのですか?
ふふ、私は嬉しいです!貴方の誠意に感謝を述べさせてください。
最近では、合言葉というものが流行っているそうですね。

合言葉は不要なのですが・・・・・・そうですね、「戴冠を行った場所」を述べていただくと
読んでくださったことが私にも分かりますね!

では、よろしくお願いします♪



日付データ

プロフ更新日2015/09/26 09:42 プロフ作成日2012/05/16 01:37
API更新日2024/04/26 01:58 API更新予定2024/04/26 02:58